弥彦山を背に負う大正の本殿

彌彦神社本殿は、新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦の彌彦神社で御祭神の伊夜日子大神をまつる社殿で、明治45年(1912年)の大火の後、大正5年(1916年)に再建され、平成10年(1998年)9月2日に国の登録有形文化財に登録された。登録番号は15-0003で、境内の25件のうち最初の番号にあたる。

文化庁の記録では、木造平屋建、銅板葺、建築面積26平方メートル。再建にあたって社殿は弥彦山を背負う位置へ移され、本殿は焼失前と同じ流造で建て直された。神社と弥彦村の案内によれば形式は三間社流造で、正面に向拝を付け、回縁に高欄と脇障子をそなえる。

伊東忠太の設計と明治神宮の飾金具

設計は東京帝国大学の伊東忠太と桐山平太郎、工事の監督は奥本五一で、飾金具の意匠は大江新太郎ら明治神宮造営局のグループが手がけたと文化庁は記す。伊東忠太は近代の神社建築を主導した建築家である。

本殿は幣殿の背面から石廊下でつながり、まわりを瑞垣が囲む。拝殿・祝詞舎・幣殿・本殿が一列に連なり、その最も奥、山にいちばん近い位置に彌彦神社本殿が置かれている。

見どころと見学

彌彦神社本殿は瑞垣の内側に建ち、一般の参拝は拝殿の前で行う。瑞垣の内に入って本殿を見学できるという案内は神社にない。拝殿の前から奥を見通すと、幣殿の屋根の向こうに本殿の銅板葺の屋根と背後の弥彦山の緑が重なる。

流造は前の屋根を長く流し出す形式で、正面の向拝はこの長い屋根の延長として架かる。飾金具は明治神宮と同じ造営の系譜に連なる仕事であり、近くで見られない分、写真や神社の解説で意匠を確かめておくとよい。

Q&A

Q彌彦神社本殿はいつ建てられましたか。
A明治45年(1912年)の大火で焼けたあと、大正5年(1916年)に再建されました。
Q彌彦神社本殿を設計したのは誰ですか。
A文化庁の記録では伊東忠太と桐山平太郎で、工事の監督は奥本五一です。
Q彌彦神社本殿はどんな形式の建物ですか。
A三間社流造で銅板葺、正面に向拝が付きます。建築面積は26平方メートルです。
Q彌彦神社本殿は近くで見られますか。
A本殿は瑞垣の内側にあり、参拝は拝殿の前で行います。
Q彌彦神社本殿はいつ登録有形文化財になりましたか。
A平成10年(1998年)9月2日に登録されました。登録番号は15-0003です。

基本データ

名称彌彦神社本殿(いやひこじんじゃほんでん)
所在地新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898
指定区分国登録有形文化財(建造物) 登録番号15-0003
指定年平成10年(1998年)9月2日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、銅板葺、建築面積26平方メートル、三間社流造
所有者宗教法人彌彦神社
公開状況外観のみ(瑞垣の内側。参拝は拝殿前)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 彌彦神社本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000658
越後一宮 彌彦神社 — 御本殿・拝殿
https://www.yahiko-jinjya.or.jp/meguru/gosyaden/index.html
弥彦村 — 彌彦神社
https://www.vill.yahiko.niigata.jp/culture/?content=458

最終更新日: 2026.10.01