江戸
Edo江戸時代(1603 – 1868)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
住吉大社斎館は神館の背面に建つ文政11年(1828年)の座敷建築で、大正4年に移築。桁行七間・梁間五間半の入母屋造本瓦葺で、上段の間を中心に前三室・後二室を配し、規模の大きさで境内中心部の景観の核をなす。
住吉大社神館西門は神館域の正面中央に開く文政11年(1828年)の四脚門で、明治中期に移築。本宮の幸寿門と同じ三斗・虹梁蟇股・大瓶束の構成を素木造と本瓦葺で仕上げ、流麗で気品ある絵様を見せる神館域の表門である。
住吉大社末社侍者社拝所・神饌所は本宮域と神館域の境に建つ文政5年(1822年)の社殿。前三間を神饌所、後三間を拝所とし最奥に侍者社本殿を祀る。左右の扉で二つの区画を結ぶ、境内構成の核となる建物である。
住吉大社末社侍者社本殿は侍者社拝所の最奥に安置された文政5年(1822年)の本殿で、境内唯一の屋内安置の社殿。正面入母屋造・背面切妻造の檜皮葺で、七級の木階や本宮と同形式の懸魚、豊かな飾り金物を備える。
住吉大社末社貴船社本殿は本宮域の背後に立聞社と並ぶ江戸後期の一間社で、昭和中期に移築。水と雨の神・高龗神を祀り、外陣正面の袖壁や虹梁に板扉を嵌める内外陣境など、住吉造に倣った形式の多彩な細部を見せる社殿。
住吉大社末社立聞社本殿は本宮域の背後に貴船社と並ぶ文政11年(1828年)の一間社で、昭和27年に移築。天児屋根命を祀り、面取角柱を土台建にして床を高く張り、見世棚風の外陣に住吉造の豕扠首を組み合わせる。
住吉大社末社龍社本殿は神館域前方の神池のほとりに建つ江戸後期の社殿で、昭和4年に移築。水波野女神を祀り、床を張らない内陣の中央に井戸を抱く。住吉造に準じた形式で、水神と深く関わる住吉大社の信仰を示す。
住吉大社南大鳥居は南からの参道入口に立つ江戸前期の石造明神鳥居。間口5.7m・高さ6.4mで西大鳥居と同じ高さを持ち、4基の大鳥居で境内の四方を結界する。神館域や御田植神事の御田に近い南の入口にあたる。
住吉大社南中門は重要文化財の南門から石舞台へ続く参道上に建つ江戸後期の四脚門で、昭和38年に移築。間口5.3mの境内最大の門で本瓦葺の重い屋根を載せ、虹梁や蟇股の動きある絵様が江戸後期の感覚を今に伝えている。
住吉大社南瑞籬門は本宮域の背面南端、第一本宮の脇に建つ江戸後期の四脚門で、昭和38年に移築。大斗肘木・虹梁蟇股という旧規を守りつつ、虹梁や木鼻の絵様は控えめながら極太で力強く、江戸後期の感覚を伝えている。
清学院庫裏は大阪府堺市堺区にある江戸末期の住居建築で、平成14年に国の登録有形文化財となった。不動堂に接する鍵形平面で、南に延びた部分はつし二階に虫籠窓を開く。寺子屋清光堂として河口慧海が学んだ建物でもある。
清学院不動堂は大阪府堺市堺区にある江戸末期の小仏堂で、平成14年に国の登録有形文化財となった。桁行梁間とも二間半、内部は八畳一室とし、軒唐破風付きの宮殿形厨子を据える。都市の修験道場として希少な遺構である。
清学院門は大阪府堺市堺区にある江戸末期の門で、平成14年に国の登録有形文化財となった。間口1.7メートルの一間一戸薬医門で、垂木に反りをもつ軽快な意匠とする。庫裏玄関前の前庭を囲い、街路景観を整える点が評価された。
大道旧山本家住宅主屋は太子町山田の竹内街道に面した江戸末期の民家。茅葺の切妻屋根の両側を本瓦葺とした大和棟で、平成16年の公開前に建て起こしや差鴨居の取り替え、差し茅による修理を受けた。平成14年登録。
竹本家住宅主屋は大阪府貝塚市西町に残る江戸時代末期の住宅で、平成15年に登録有形文化財となった。間口7間の正面に出格子と与力窓を並べ、東面の太い無双窓は願泉寺を望む。商家ではなく武家か寺役人の家とみられる。
竹本家住宅東主屋は大阪府貝塚市北町に建つ江戸時代末期の小さな町家で、平成15年に登録有形文化財となった。桁行2間半、建築面積49平方メートル。地盤は西主屋より約60センチ高いが、屋根は西主屋より低く納まる。
泉大津市助松町の田中家住宅玄関及び座敷棟は安政2年(1855年)の建築。東向きの式台玄関と、10畳・8畳を矩の手につないだ座敷からなり、押板や付書院を備える。造形の規範として登録された。屋敷は一般公開されていない。
泉大津市助松町の田中家住宅主屋は江戸時代中期の大型農家。桁行11間半・梁間7間の入母屋造本瓦葺で、府内屈指とされる広い土間をもつ。紀伊徳川家の小休本陣を務めた屋敷の中心に建ち、現在も住まいとして使われ一般公開はされていない。
松原市南新町の田中家住宅主屋は庄屋層の大型農家。市は普請文書から宝永6年(1709年)築とし、文化庁は天保年間頃とする。天保年間に茅葺から瓦葺・つし二階に改造され、2007年に移築された。現在も住まいで見学不可。
泉大津市助松町の田中家住宅築地塀は江戸末期の瓦葺の塀。表門の東北隅から旧紀州街道に沿って北へ延び、高さ2.3メートル、足元には犬矢来が続く。延長は文化庁資料に57メートルと51メートルの2通りの記載がある。外側は公道から見られる。