和歌山県の登録有形文化財
和歌山県 · 登録有形文化財
興国寺坐禅堂は和歌山県由良町の興国寺で法堂の北に建つ江戸後期の坐禅堂。入母屋造の前堂に後堂が接続するT字形の平面で、四半敷の土間の両端に畳敷の単を設ける。令和7年(2025年)に登録有形文化財となった。
興国寺大門は和歌山県由良町の興国寺で参道入口に南面して建つ昭和13年(1938年)の四脚門。切妻造本瓦葺の総ケヤキ造で、頭貫の木鼻を牡丹の篭彫とし、平成9年(1997年)に移築された。令和7年(2025年)登録。
興国寺法堂は和歌山県由良町の興国寺の中心に建つ寛政9年(1797年)の禅宗仏殿。方五間二重の入母屋造本瓦葺で軒唐破風と千鳥破風を重ね、四半敷の土間の上に龍を描く鏡天井を張る。令和7年(2025年)登録。
興国寺方丈は和歌山県由良町の興国寺で法堂の東に西面して建つ元禄11年(1698年)の方丈。寄棟造本瓦葺で向唐破風の玄関を突出し、3列6室に広縁を廻らす。側通りに1間ごとに柱を立てる古式を残し、令和7年(2025年)登録。
光臺院経蔵は和歌山県伊都郡高野町高野山の光臺院にある昭和2年(1927年)の校倉造の経蔵で、登録有形文化財。切石積みの基壇の上に東面して建ち、宝形造の銅板葺で、同じ高さに校木を積み上げる端正な姿である。
光臺院多宝塔は和歌山県伊都郡高野町高野山の光臺院の庭園内に建つ大正6年(1917年)の多宝塔で、登録有形文化財。真言宗別格本山の多宝塔で、上層を四手先とし、蟇股に菊花紋を掲げる精緻なつくりの塔である。
神野阿弥陀堂は和歌山県伊都郡かつらぎ町東谷にある貞享3年(1686年)の仏堂で、登録有形文化財。葛城山間の集落の北に南面する寄棟造・茅葺(金属板仮葺)の三間堂で、ケヤキの円柱とクリの角柱を使い分け、紀北地域の村堂の事例として貴重である。
高野山大学図書館は和歌山県伊都郡高野町高野山にある昭和4年(1929年)の鉄筋コンクリート造の図書館で、登録有形文化財。30万冊の仏教書を収蔵・公開する施設として武田五一が設計し、閲覧室の背後に5層の書庫を配する。
高野山霊宝館玄関・北廊・中廊は大正9年(1920年)建築の受付部と渡り廊。入母屋造の玄関から紫雲殿と放光閣へ廊が分かれ、取り付く手前で棟を上げて流れをつくる。登録5件のうち唯一の瓦屋根の建物でもある。
高野山霊宝館紫雲殿は大正9年(1920年)に建てられた霊宝館の正殿。名は阿弥陀の来迎を描く仏画を展観する空間として「紫雲」から取られた。切妻屋根の単層の展示室で、その見どころと見学の決まりを紹介する。
高野山霊宝館放光閣は大正9年(1920年)建築の展示棟。下層5間四方・上層3間四方の重層宝形造で、下は舟肘木、上は詰組と組物を使い分ける。コルク張りの床や高窓の鉄製ブラインドなど、展示のための工夫も記録されている。
高野山霊宝館宝蔵は大正9年(1920年)建築の収蔵庫。霊宝館の当初の建物で唯一の鉄筋コンクリート造で、校倉造の形式をとる。校倉形式のRC建築として最初のもので、大江新太郎の明治神宮宝物殿の習作と考えられている。
高野山霊宝館南廊及西廊は大正9年(1920年)建築の鉤の手に折れる展示廊。紫雲殿と放光閣を奥で結び、梁間21尺の幅で展示室を兼ねる。南西隅に宝形の隅櫓を載せて、建物全体の量感を整えた点が特徴とされる。
金剛峯寺阿字観堂は、高野山金剛峯寺に昭和42年(1967年)に建てられた阿字観の道場。法隆寺西室に倣った平面や来迎壁の阿字、高野山の堂宮大工・辻本喜次の設計施工、阿字観体験に参加して入堂する方法と料金を紹介する。
金剛峯寺応接室は、昭和8年(1933年)に貴賓館の浴室として建ち、昭和32年(1957年)ごろ曳家で移されて応接室となった建物。豕扠首の妻飾、東に床を構えて石庭を望む板敷の一室、内部公開の有無を紹介する。
金剛峯寺奥殿(旧貴賓館)は、高野山の金剛峯寺に昭和8年(1933年)に建てられた貴賓用客殿。玄関の大蟇股や石崎光瑤の襖絵、周囲の蟠龍庭、内部が非公開であることと、拝観順路から庭越しに外観を眺める見学方法を紹介する。
金剛峯寺奧殿塀は、高野山金剛峯寺の勅使門の東西に延びる昭和8年(1933年)の延長81mの塀。大仏様風の繰型付き腕木や真壁造の漆喰壁、蟠龍庭の南を区切る景観上の役割と、拝観時に庭越しに見える姿を紹介する。
金剛峯寺奥殿渡廊下は、高野山金剛峯寺の奥殿・別殿・応接室を結ぶ昭和8年(1933年)のT字形の渡廊下。虹梁と大斗肘木の架構、吹き放ちの柱間、国土の歴史的景観に寄与するとされた登録基準と、見学の可否を紹介する。
金剛峯寺浄水所は、高野山壇上伽藍へ通じる蛇腹道沿いに昭和33年(1958年)に建てられた手水舎。内外を白く塗った鉄筋コンクリート造の切妻、中央の水盤、刎高欄に倣った金属製の手摺、伽藍参拝前の利用方法を紹介する。
金剛峯寺鐘楼は、高野山壇上伽藍に昭和33年(1958年)に建てられた鉄筋コンクリート造の鐘楼。大鐘「高野四郎」の由来と1日5回の鐘の時刻、詰組と二軒繁垂木による深い軒まわり、設計施工のあめりか屋を紹介する。