愛知県の登録有形文化財
愛知県 · 登録有形文化財
真野家住宅高塀は愛知県犬山市の真野家住宅の敷地南辺を仕切る明治27年(1894年)の木造屋根付き塀。延長29メートル、高さ5メートルで、表裏に腕木の出桁と小庇を設けた造りが特徴。2005年に登録有形文化財に登録された。
真野家住宅土蔵は愛知県犬山市の真野家住宅の敷地奥に建つ明治27年(1894年)の土蔵造2階建の蔵。建築面積121平方メートル、内部を東西に二分し南面に2つの戸口を持つ。簡素だが規模が大きく、2005年に登録有形文化財に登録された。
真野家住宅離座敷は愛知県犬山市の真野家住宅の主屋裏に中庭を挟んで建つ明治27年(1894年)の木造平屋建客座敷。床の間と違棚を持つ8畳と4畳の次の間からなり、北切妻・南寄棟の屋根を持つ。2005年に登録有形文化財に登録。
愛知県知立市上重原町の萬福寺の山門。天保15年(1844年)建築の入母屋造本瓦葺の門で、拳鼻付きの二手先詰組と各間の蟇股など組物に技巧を凝らし、境内の表構えに重厚さを与える。国の登録有形文化財に登録。
愛知県知立市上重原町の萬福寺の鐘楼。文久2年(1862年)建築の方1間吹放ちの入母屋造桟瓦葺で、内転びの円柱、拳鼻付きの詰組、二軒扇垂木をもつ禅宗様基調の装飾密度の高い鐘楼。国の登録有形文化財に登録。
愛知県知立市上重原町の萬福寺の本堂。明治32年(1899年)建築、建築面積603平方メートルの大型の真宗本堂で、内陣を二重に折り上げた格天井をもつ。西三河の棟梁小野田又蔵の最盛期の作。国の登録有形文化財。
愛知県犬山市の城下町に建つ三井家住宅蔵は、大正7年(1918年)建築の土蔵造2階建。黒漆喰の外壁と海鼠壁の腰、持送りが受ける瓦庇が特徴で、2004年に登録有形文化財となった。妻面は公道から見学できる。
愛知県犬山市の城下町に建つ三井家住宅主屋は、明治22年(1889年)建築の木造2階建町家。出桁造の軒と、1階の木格子・2階の鉄格子が目印で、2004年に登録有形文化財となった。内部は非公開、外観のみ見学できる。
愛知県犬山市の三井家住宅渡り廊は、明治中期建築の木造平屋建の附属棟。主屋の通り庭から南へ延び、浴室と便所を収める片流れ屋根の棟で、2004年に登録有形文化財となった。主屋の背後にあり、公道からは見えない。
湊築島弁天社は豊橋市の湊町公園、池の中の築島に建つ寛政7年(1795年)の社殿。三間社入母屋造向拝付、本瓦葺で、2008年に登録有形文化財となった。吹放ちの外陣から、草木を描いた格天井を見上げられる。
三宅家住宅主屋は尾張旭市の旧瀬戸街道沿いに建つ明治前期の在郷商家。町家風の外観の内側に六間取の農家型平面をもち、太い梁組の土間には藍瓶が埋まる。2022年に登録有形文化財となった。現在も住居のため非公開。
名古屋と瀬戸を結ぶ旧瀬戸街道沿い、尾張旭市に残る在郷商家・三宅家の道具蔵。藍染の紺屋と造り酒屋を営んだ家が明治前期に建てた土蔵造二階建で、2022年に主屋などとともに登録有形文化財となった、街道の景観を今に残す一棟。
愛知県尾張旭市、旧瀬戸街道沿いに建つ三宅家住宅の庭門及び塀。藍染の紺屋と造り酒屋を営んだ在郷商家の屋敷構えを今にとどめ、街道の景観を支える工作物として、2022年に主屋とともに登録有形文化財となった。
愛知県犬山市、国宝犬山城の城下町に建つ宮田家住宅。その敷地北西隅に残る井戸屋形は明治末期の木造瓦葺で、地棟に滑車を吊る簡素なつくり。2006年に登録有形文化財となった、屋敷景観に欠かせない小さな建物である。
国宝犬山城へ続く本町通りの一画、宮田家の屋敷の西北隅に建つ土蔵。昭和6年(1931年)の普請で、平成18年に登録有形文化財となった。金庫風の扉、舟板張りの腰、玉石を亀甲に組んだ「ごんぼ積」の基礎が見どころである。
国宝犬山城へ続く旧城下町に建つ、昭和初期の数寄屋住宅。京都の名席「又隠」を写した四畳半の茶室を核とし、用材の吟味や工法に当時の茶室建築の技をよくとどめる。登録有形文化財であり、個人住宅のため内部は非公開。
愛知県犬山市の旧城下町に、木と瓦でつくられた延長約48メートルの塀が屋敷地をめぐる。藩の勘定方を務めた宮田家が昭和6年に築いたもので、真壁造の壁は水路の玉石護岸の上に建つ。町並みの景観に寄与する登録有形文化財である。
愛知県蒲郡市の三谷町北区山車蔵は、大正10年(1921年)築の煉瓦造の山車蔵である。三谷祭で北区が曳く三蓋傘山車を納め、煉瓦造の山車蔵としては現存唯一とも言われる。平成19年に登録有形文化財となった。
名古屋に接する大治町に建つ明眼院旧多宝塔は、もと二層の多宝塔の下層部。明治の濃尾地震で上層を失い、今は大日如来坐像を安置する大日堂として残る。2014年登録の登録有形文化財で、尾張に多い多宝塔の遺例の一つ。
愛知県大府市、尾張と三河の境をなす境川の右岸に築かれた大正5年の樋門。延長10メートルの石造単アーチと人造石の壁体からなり、境川からの逆流を防ぐ。服部長七の工法を参考に施工された貴重な人造石遺構で、令和3年に登録有形文化財となった。