東大寺本坊経庫は奈良時代の校倉造の経庫

東大寺本坊経庫は、奈良県奈良市雑司町の東大寺本坊にある奈良時代の校倉造の経庫で、昭和28年(1953年)に国宝に指定された。読みは「ほんぼうきょうこ」。本坊は東大寺の寺務の中心となる一画である。

文化庁の解説によると、東大寺本坊経庫の建立年代は明らかでないが、材料の形式や風蝕の状況から奈良時代の建物と考えられている。建てられた当初の場所も分かっていない。

移築を経て本坊に置かれた東大寺本坊経庫

東大寺本坊経庫は、江戸時代には「上司倉」として、油倉と並んで建っていた。油倉は現在の手向山神社宝庫である。文化庁の解説は、正徳年間(1711〜1716年)に現在の場所へ移したと伝えられていると記す。

正徳年間は、大仏殿の再建が終わり、中門や廻廊の工事が進んでいた時期にあたる。境内の建物の配置が大きく整えられるなかで、奈良時代の倉も新しい置き場所を得たことになる。

東大寺本坊経庫の構造:三角材を井籠に組む単倉

東大寺本坊経庫は、桁行3間・梁間2間の校倉で、屋根は寄棟造、本瓦葺である。太い束柱の上に台輪を置き、その上に断面が三角形の校木を井桁に組み上げて壁をつくる。文化庁は、これを当時の校倉(単倉)の基本的な形式としている。

三角形の校木は、外から見ると壁面に稜線が横に何段も並んで見える。角を外に向けた材が積み重なる表情は、板壁や土壁の倉には見られない。

文化庁の解説によると、東大寺には正倉院正倉のような双倉のほか、単倉の校倉として法華堂経庫・勧進所経庫と、この本坊経庫が残る。3棟のうち本坊経庫は規模がいちばん大きく、手向山神社宝庫と同じ寸法である。

東大寺本坊経庫が国宝に指定された理由

東大寺本坊経庫は明治39年(1906年)に古社寺保存法のもとで指定され、昭和28年(1953年)に国宝となった。

文化庁は、東大寺に残る3棟の単倉のなかで規模が大きく、古い材料もよく保存されている点を挙げる。扉と扉の枠まで古材が残り、垂木が丸い断面の円垂木であることなど古式を伝えており、奈良時代の東大寺の校倉建築を代表する遺構と評価されている。

東大寺本坊経庫の見学

東大寺本坊経庫は、寺務の中心である本坊の構内にある。東大寺の参拝案内には本坊経庫の公開についての記載がなく、一般の見学を前提とした建物ではない。

校倉の構造を間近に見たい場合は、同じ東大寺の法華堂経庫が法華堂の近くにある。東大寺全体の拝観時間と境内への行き方は東大寺のページにまとめてある。

Q&A

Q東大寺本坊経庫はいつ建てられましたか?
A建立年代を記した記録はありませんが、文化庁は材料の形式や風蝕の状況から奈良時代の建物と考えています。
Q東大寺本坊経庫はもともと今の場所にあったのですか?
A当初の場所は分かっていません。江戸時代には上司倉として油倉(現在の手向山神社宝庫)とともにあり、正徳年間(1711〜1716年)に現在地へ移したと伝えられます。
Q東大寺本坊経庫の校倉とはどんな構造ですか?
A断面が三角形の校木を井桁に組み上げて壁をつくる倉です。東大寺本坊経庫は束柱の上に台輪を置き、その上に校木を組んでいます。
Q東大寺本坊経庫が国宝なのはなぜですか?
A東大寺に残る3棟の単倉の校倉のなかで規模が大きく、扉まで古い材料をよく残し、円垂木など古い形式を伝えるためです。
Q東大寺本坊経庫は見学できますか?
A本坊の構内にあり、寺の参拝案内に公開の記載はありません。

基本情報

名称東大寺本坊経庫
所在地奈良県奈良市雑司町
指定区分国宝
指定年明治39年(1906年)重要文化財指定、昭和28年(1953年)国宝指定
員数1棟
寸法桁行3間、梁間2間、校倉、寄棟造、本瓦葺
所有者東大寺
公開状況本坊の構内にあり、公開の案内なし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):東大寺本坊経庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2454
国指定文化財等データベース(文化庁):東大寺法華堂経庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2447
国指定文化財等データベース(文化庁):東大寺勧進所経庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2446
東大寺:江戸再興
https://www.todaiji.or.jp/history/edoki/
東大寺:拝観時間・拝観料
https://www.todaiji.or.jp/information/haikan/

最終更新日: 2026.10.02