明治
Meiji明治時代(1868 – 1912)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
札幌の中島公園に建つ豊平館は、開拓使が明治13年に建てた木造二階建の洋風ホテル。明治天皇の行在所として開館し、ウルトラマリンブルーの窓枠と漆喰の天井中心飾りが残る。昭和39年に重要文化財に指定され、現在は一般に公開されている。
札幌の北海道大学構内に残る第二農場は、クラークの構想のもとで築かれた洋式農場。明治10年の模範家畜房や穀物庫を含む9棟が昭和44年に重要文化財に指定された。入場は無料で、屋内3棟は4月末から11月初めに公開される。
北海道伊達市の旧三戸部家住宅は、亘理伊達家の集団移住が遺した茅葺の開拓農家で、昭和46年指定の重要文化財。土間と二室の小さな建物ながら木割が太く、後の屯田兵屋と平面が似る。だて歴史の杜に建ち、見学は外観のみとなる。
旭川市のあさでん春光整備工場は、旧陸軍第七師団騎兵第七連隊の覆馬場で、平成13年登録の登録有形文化財。積雪期の軍馬訓練のため煉瓦造とし、鉄製フィンクトラスが千平方メートル超の無柱空間を架ける。現在はバスの整備工場である。
明治32年に建てられた旧国鉄旭川車両センターの木機乾燥場。列車の用材を乾かした正方形平面の煉瓦造で、フランス積の壁に三中心アーチと焼過煉瓦の装飾を備える。平成27年登録、現在は旭川市市民活動交流センターの市民活動支援棟。
明治32年築、旧国鉄旭川車両センターの第二木機職場。車両の木部造作を担った建物で、幅広のアーチ窓とスリット窓が並ぶ煉瓦壁をもつ。平成27年に登録有形文化財となり、現在は約180人収容の多目的ホールとして使われている。
北海道日高町富川南の飯田家住宅座敷棟は、明治44年に旧門別町で皇太子行啓の宿所として建てられた建物の座敷二室と東廊下を昭和26年に移築した一棟。ヒノキの軸部と折上格天井が残り、平成26年に登録有形文化財となった。
北海道日高町門別本町の飯田家住宅主屋は、太平洋に面して建つ明治後期の木造平屋建。応接用の洋間と二室の座敷を矩折れの廊下でつなぎ、十五畳主室は高い棹縁天井と大振りの床に上下窓を並べる。平成27年に国の登録有形文化財となった。
札幌市南区真駒内に建つ国の登録有形文化財。明治20年築の真駒内種畜場事務所を昭和39年に移築した木造平屋建で、北海道酪農の礎を築いたお雇い米国人エドウィン・ダンの足跡と一木万寿三の油絵23点を伝える記念館。
旭川市宮下通、上川倉庫事務所の西隣に立つ明治37年(1904年)の木骨煉瓦造平屋建の倉庫。長い側面を通りに向け、東隣の八号倉庫とともに煉瓦の壁を宮下通に連ねる。登録の時点では多目的ホールとして使われていた。
旭川市宮下通、上川倉庫群の西角に立つ明治36年(1903年)の木骨煉瓦造倉庫。キングポストトラスの小屋組、焼過ぎ煉瓦の基壇、歯飾り付きの蛇腹をもつ。椅子のギャラリーを経て、いまは旭川市民ギャラリーが入る。
旭川市宮下通、上川倉庫群の駅側に立つ明治43年(1910年)の木骨煉瓦造倉庫。長手積の壁に2段の歯飾りの蛇腹を巡らせる。平成9年(1997年)から旭川デザイン協議会のデザインギャラリーとして無料で公開されている。
旭川市宮下通、上川倉庫群の北角に妻側を通りへ向けて立つ明治33年(1900年)の木骨煉瓦造倉庫。倉庫群で最初に完成した1棟で、敷地側には三心円アーチの入口を開く。音楽の稽古場リハーサルホールとして使われている。
旭川市宮下通、上川倉庫事務所の東隣に立つ明治37年(1904年)の木骨煉瓦造倉庫。切妻造で瓦葺一部鉄板葺、外壁はイギリス積で、建物の隅を焼過ぎ煉瓦の柱型で固める。一号倉庫と対になって通りの景観をつくる。
旧西岡水源池取水塔は札幌市豊平区の西岡公園内に立つ明治42年建設の取水施設。内径1.5m高6.6mの煉瓦造基礎に六角形の木造胴体が載る。設計は井上二郎。平成13年登録有形文化財。無料で常時外観を見学でき、内部は非公開。
天龍坑で資材を運ぶ斜坑の入口を固めた煉瓦造の坑口。五枚厚の壁に幅約四メートルの半円アーチを開き、付柱と軒蛇腹を備え、「天龍坑」と刻んだ扁額を掲げる。一九〇〇年に築かれ、二〇〇六年に登録有形文化財となった。
坑夫を乗せた人車が出入りした天龍坑の斜坑の入口を固める煉瓦坑口。幅十一メートルの正面に半円アーチを開き、円錐形の要石や付柱、張り出す翼壁を備える。一九〇〇年に築かれ、二〇〇六年に登録有形文化財となった。
北海道夕張市の地下に延びる180mの煉瓦造アーチ坑道。1939年に皇族見学用として整備された天龍坑の補助坑道で、本物の石炭層に触れられる国内唯一の歩いて入れる炭鉱坑道。2006年登録有形文化財。
北海道石狩市八幡町高岡に建つ明治44年築の木造二階建の米倉。外壁は下見板張。中央に独立柱を立てて棟木を支え、一階南端は穀物用に三室へ仕切る。令和6年に隣の石倉とともに登録有形文化財となった。内部は非公開。
北海道小樽市桜一丁目の銀鱗荘旧本館は、余市の大網元猪俣安之丞が明治後期に建て昭和十三年に平磯岬へ移した鰊漁家建築。二間半の神棚を据えた六間取り広間が残り、令和五年に国の登録有形文化財となった。宿泊できる鰊御殿として知られる。