昭和
Shōwa昭和時代(1926 – 1989)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
大阪市中央区、東横堀川に架かる大手橋の西詰正面に建つ鉄筋コンクリート造2階建の邸宅。昭和6年、鉄鋼問屋岸本商店の5代目の本邸として住友工作部の笹川慎一が設計した。外装の竜山石は旧住友ビルディングと共通する。
岸和田市岸城町の自泉会館は、岸和田紡績の寺田甚吉が昭和7年に倶楽部として建てた鉄筋コンクリート造2階建。設計は渡辺節、施工は大林組。近世スパニッシュ風の外観で、平成9年に国の登録有形文化財となった。見学無料。
大阪市中央区平野町の北野家住宅主屋は、青果商が昭和3年に建てた間口3間の木造3階建町家。タイル張の正面、銅板で覆う蛇腹、両側のうだつが防火を担う。平成18年に国の登録有形文化財となった。内部は非公開で外観のみ見られる。
大阪市浪速区恵美須東のギャラリー再会は、純喫茶として昭和28年に建てられた木造2階建。幾何学模様の破風飾りとねじれ柱のバルコニーを構える正面の奥に、中庭を挟む町家の平面が残る。平成19年に登録有形文化財となった。
岸和田市北町の旧和泉銀行本店は、紀州街道に面する昭和8年建築の鉄筋コンクリート造2階建。2層を貫く半円アーチとキーストーン位置のメダリオンが正面を締める。渡辺節の設計と伝わり、平成18年に登録有形文化財となった。
大阪府堺市にある旧是枝近有邸は、開業医・是枝近有が自ら設計した洋風城館建築です。1931年築の木造4階建てで、コリント式円柱や中央塔屋が特徴。百舌鳥古墳群にも近い登録有形文化財の魅力を紹介します。
大阪市平野区の旧平野郷町に建つ小林新聞舗店舗兼住宅は、昭和4年(1929年)竣工の登録有形文化財。アーチ窓が特徴的な鉄筋コンクリート造店舗と木造住居が一体となった建築で、「新聞屋さん博物館」としても公開されています。
昭和10年(1935)竣工、大阪市西区江戸堀に建つ大型の和風木造教会堂。建築面積531㎡、入母屋造の大屋根に二つの千鳥破風と裳階を構えた堂々たる姿が、戦災を免れて都心に残る。設計は池田谷久吉、施工は北井工務店。
大阪府河内長野市清水の地蔵寺鍾馗堂は、昭和10年(1935年)建立の仏堂で、樟脳の商標に鍾馗を用いた藤澤友吉商店の寄進による。入母屋造妻入桟瓦葺、脇間に火灯窓を構え、亀腹はコンクリート造。令和5年に登録有形文化財。
1927年竣工の芝川ビルディングは、古代マヤ・インカ文明を想起させる装飾が施された大阪を代表するアールデコ建築です。国登録有形文化財に登録され、花嫁学校やニッカウヰスキー創業の舞台としての歴史を持つ、大阪・伏見町の名建築をご紹介します。
大阪市天王寺区下寺町に佇む心光寺本堂は、大正12年の火災後に住職自らがタージマハルを参考に設計したインド風の鉄筋コンクリート造寺院です。ドーム屋根や多弁アーチが特徴的な昭和4年築の本堂は、国の登録有形文化財に指定されています。400年の歴史を持つ浄土宗寺院の独創的な建築と、11世紀の十一面観音立像などの文化財をご紹介します。
聖贖主教会(博愛社礼拝堂)は大阪市淀川区十三元今里の昭和11年竣工の鉄筋コンクリート造教会堂。ヴォーリズ建築事務所の設計で、正面のバラ窓と鐘楼塔屋が目を引く。室戸台風で全壊した初代を再建し、令和5年に登録有形文化財となった。
寝屋川市美井町の聖母女学院校舎は、アントニン・レーモンドが設計し昭和7年に竣工した鉄筋コンクリート造校舎。採光と通風に配したE字形のフィンガー型平面をとり、正面にはスパニッシュ風のコロネードが立つ。平成9年登録。
吹田市千里山西の千里寺本堂は、昭和3年の昭和天皇即位の大礼で設けられた饗宴場の一部を転用した建物。角柱を長押で固める軸部、黒漆塗りの二重折上格天井と三十五灯のシャンデリアに宮殿建築の姿が残る。内部は非公開。
1970年大阪万博のシンボルとして岡本太郎がデザインした高さ約70mの太陽の塔。重要文化財に指定されたその三つの顔、内部の生命の樹、見どころやアクセス情報を詳しくご紹介します。
東大阪市の大阪商業大学キャンパス内に建つ谷岡記念館は、昭和9年の室戸台風からの復興校舎として昭和10年(1935年)に竣工した鉄筋コンクリート造4階建の建築。正面の時計塔、平滑な壁面に並ぶアーチ窓と丸窓、3・4階を貫く吹抜けの大講堂など、昭和初期モダニズムの端正な造形をよく残し、平成12年に東大阪市初の国登録有形文化財(建造物)となった。館内には商業史博物館があり、近世大坂の商業文化を伝える。
大阪府柏原市の石川に架かる玉手橋は、1928年に架設された日本初の登録有形文化財の吊橋です。中世ヨーロッパの城を思わせる白い主塔と赤い欄干が美しい、全長151mの5径間吊橋の歴史と魅力をご紹介します。
千早神社社務所は昭和七年建立、建築面積百二十七平方メートルと境内最大。式台棟・授与所棟・主体部の三つの切妻を参道へ突き出し、深い螻羽と薄い軒の対比が力強い正面をつくる。内部は続き間座敷。令和六年に登録された。
千早神社手水舎は昭和三年建立、面積一・六平方メートル。主柱を棟木まで通し、二段の腕木で軒桁を支える架構が、天井を張らない頭上にそのまま見える。中央に自然石組の手水鉢を置く。令和六年、歴史的景観への寄与を理由に登録された。
千早神社拝殿及び渡廊は昭和三年建立。背面中央の御扉を除き側廻りをすべて吹放ちとし、正面に立つと視線が建物を貫いて背後の森へ抜ける。設計は本殿と同じ大江新太郎による斬新な形式。令和六年に登録有形文化財となった。