大正
Taishō大正時代(1912 – 1926)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
妙教寺荒熊天王社は最上稲荷の旧本殿霊応殿の本殿後方に建つ大正8年の一間社。千鳥破風付入母屋造檜皮葺に軒唐破風付の向拝を設け、龍彫刻の尾垂木付三手先斗栱や装飾的な格子戸で飾る。地元の大工浅草屋光次郎の作。
妙教寺大乗天王社は最上稲荷の旧本殿霊応殿の西側で羽弥御崎天王社の南に建つ大正6年の一間社流造檜皮葺の社殿。縁と浜縁に縁束を立てず、二手先の挿肘木で持ち出す。同時期の妙正天王社と同じ規模・形式の社殿である。
妙教寺寒松軒は最上稲荷の庫裏の北に接して建つ大正前期の二階建てで、寺では奥書院と呼ぶ。1階はガラス戸を立てて庭に開き、2階は白漆喰で塗り込めて格狭間風の窓を開く。西の庭と東の福寿庭を意識した建築である。
妙教寺客殿及び庫裏は最上稲荷の本堂西北に建つ大正5年の建物で、寺では大客殿と呼ぶ。入母屋造の客殿に切妻造の庫裏が付き、唐破風造の大玄関を構える。寒松庭とあわせて館内を有料で拝観でき、座敷から庭を眺められる。
妙教寺山門は最上稲荷の本堂正面の西方に西を向いて建つ大正10年の門。規模の大きな一間一戸薬医門で、切妻造本瓦葺に左右の袖塀を付ける。彫物を蟇股や笈形に絞り、冠木や男梁、三斗の架構の力強さで見せる門である。
妙教寺羽弥御崎天王社は最上稲荷の旧本殿霊応殿の西側に建つ大正10年の社殿で、末社群で最も規模の大きい一間社。千鳥破風付入母屋造檜皮葺に軒唐破風付の向拝を設け、龍と雲の二重尾垂木を付けた三手先詰組で飾る。
妙教寺妙正天王社は最上稲荷の旧本殿霊応殿の東側で夜守天王社の北に建つ大正6年の一間社流造檜皮葺の社殿。擬宝珠高欄付の切目縁をまわし、境内の多くの末社と共通する構造形式をとりながら、装飾的要素を抑える。
無垢橋は岡山県久米郡久米南町里方の誕生寺の境内の南に架かる大正9年(1920年)の石造桁橋で、登録有形文化財。萬成石を用いて擬宝珠欄干を付け、路盤石の端部を丸太の木口に見せる凝ったつくりで知られる石橋。
岡山県井原市の山成酒造で、6棟のうち唯一「造形の規範」を理由に登録されたのが離れ座敷。大正4年(1915年)築の平屋で、床と違棚を備えた座敷、仏間、中庭に向く縁からなる。栄えた造り酒屋が客を遇した、令和6年登録の一棟を訪ねる。
龍乗院鐘楼門は岡山県玉野市東田井地の龍乗院の石段の上に建つ大正11年(1922年)の二層の門で、登録有形文化財。下層を花崗岩と白色小口タイルで仕上げた鉄筋コンクリート造、上層を木造とした当地に類例のない混合構造。
大正14年、倉敷紡績の女性労働者の子どものために倉敷さつき会が開いた保育所の園舎。設計は文化学院を創立した西村伊作で、石積アーチの玄関と寄棟造の広い保育室が残る。倉敷美観地区の一角、平成21年登録の有形文化財。
建築面積56平方メートル、大正14年建築の小さな園舎。南北2室の保育室のうち南室の東側に煉瓦敷のテラスを設け、園庭と地続きにつなぐ。設計は文化学院を創立した西村伊作。倉敷美観地区、平成21年登録の有形文化財。
大宜味村役場旧庁舎は沖縄県国頭郡大宜味村大兼久にある大正14年(1925年)の鉄筋コンクリート造の役場庁舎で、重要文化財。台風と白蟻への対策として採用された、沖縄県で現存最古の鉄筋コンクリート造建築。
南城市玉城字仲村渠にある共同用水施設。木の樋だった湧泉を大正元年(1912年)から琉球石灰岩で造り替え、男女別の水場、拝所、広場、石畳の道を備える。沖縄の伝統的な石造井泉を代表し、平成7年に重要文化財に指定。
竹富島の旧与那国家住宅は1913年建築の主屋ふーやと台所棟とーらを並べた分棟型の屋敷で、2007年に重要文化財に指定。石垣ぐっくや屋敷神まで含めて宅地ごと保存され、靴を脱いで屋内を見学することもできる。
石垣やいま村にある大正12年(1923年)築の琉球民家の主屋で、郷土史家喜舎場永珣の旧宅とされる。玄関を背面に設けた変則的な間取りと、台所と三番座に別々に架けた屋根が特徴。2008年移築。見どころと見学方法を紹介。
石垣市新川の入嵩西家住宅で、主屋と南の道路のあいだに立つ大正3年頃の石造の目隠し壁。長さ5.7メートル、高さ1.5メートル、厚さ25センチ。粟石の切石を3段に積んで両袖を一枚石とし、上部に笠石を渡している。
与那国町祖納にある入福浜家住宅主屋は大正初期の木造平屋で、2006年に登録有形文化財となった。南に3室の座敷が並び、奥に床の間と仏壇、北に裏座を置き、南と東に雨端柱が立つ。与那国町で最初に登録された建造物である。
小浜島の大盛家住宅の敷地を南・西・北の3面で囲む大正4年(1915年)の石垣。延長65メートル、高さ1.5〜1.7メートル。人頭大のサンゴ石灰岩の丸石を空積みにし、南面中央の表門の両脇にだけ大ぶりの板石を使う。
小浜島の大盛家住宅で南面の石垣の内側にある大正4年(1915年)の井戸。直径1メートルの円い井戸枠をサンゴ石灰岩の板石6枚で組み、半月形の蓋石を載せる。周りに洗い場を備え、かつては隣家にも生活用水を分けていた。