東京都の登録有形文化財
東京都 · 登録有形文化財
新町館(三宅家住宅)は東京都文京区白山一丁目に建つ鉄筋コンクリート造の住宅で、平成10年(1998年)に国の登録有形文化財となった。住宅兼法律事務所として計画され、工事中に関東大震災に遭った初期の陸屋根住宅である。
鈴木家住宅主屋は東京都新宿区横寺町の小路に北面する木造平屋建の住宅で、昭和22年建築、平成23年に国の登録有形文化財となった。建築家高橋博の自宅兼アトリエとされ、格子戸に煉瓦貼の玄関と名栗仕上げが同居する。
東京都台東区谷中のすぺーす小倉屋蔵は、大正5年に質屋小倉屋の三代目平三郎が建てた質蔵である。梁間二間の細い平面に土蔵造3階を積み、近隣で際立つ高さを持つ。平成12年に登録有形文化財となり、現在は改修工事中。
東京都台東区谷中のすぺーす小倉屋店舗は、享保年間から続いた質屋・小倉屋の店舗で、江戸末期の建築。木造2階建、間口三間の中二階に大戸口と八畳の帳場を残し、平成12年に登録有形文化財となった。現在は改修中で内部非公開。
東京都墨田区向島、昭和11年に花街の隣に建った鉄筋コンクリート造3階建の校舎。街路側の昇降口を高窓とし、校庭側には大きな窓を並べる。白亜の殿堂と呼ばれ、東京大空襲を免れ、令和5年に国の登録有形文化財となった。
東京都墨田区向島にある昭和11年建設の講堂。鉄骨トラスが天井を支え、床に柱の立たない大空間をつくる。壁の内側にはリベット留めの太い鉄骨柱が立ち、関東大震災後の技術が読み取れる。令和5年に国の登録有形文化財となった。
西郊ロッヂングは、東京都杉並区荻窪にある昭和13年築の木造2階建ての集合住宅で、平成21年に登録有形文化財となった。13室をもつL字形の建物で、北西角を曲面の壁とし、その上部に銅板葺のドーム屋根を載せている。
ソルフェージスクールは東京都豊島区目白にある昭和42年(1967年)の鉄筋コンクリート造3階建の音楽教室で、登録有形文化財。建築家吉村順三がバイオリニストの妻のために設計し、3階ホールは勾配屋根で天井高を確保する。
タイガービルヂングは東京都台東区蔵前の国際通りに面する昭和時代初期の鉄筋コンクリート造5階建のビルで、登録有形文化財。当初はエレベーター付きの高級賃貸集合住宅として建てられ、円窓やレリーフで飾る震災復興建築の一例である。
太洋ビルディング(丸石ビルディング)は東京都千代田区鍛冶町、旧龍閑川沿いに建つ昭和6年(1931年)のオフィスビルで、登録有形文化財。山下寿郎の設計で、スクラッチタイル貼りの外装に動植物のレリーフを刻む。
西東京市下保谷の髙橋家住宅にある明治8年(1875年)頃建築の衣装蔵。桁行3間・梁間3間の正方形の土蔵造2階建で、置屋根を載せる。昭和の改修で腰を人造石の洗い出しとし、東南面の観音扉は黒漆喰で仕上げる。
西東京市下保谷の髙橋家住宅の正面に構える明治期の一間薬医門。切妻造銅板葺の屋根に両開きの板扉、左右に袖塀を付け、間口は2.7メートルと広い。木太い軸部が屋敷に風格を与え、平成30年に登録有形文化財となった。
西東京市下保谷に昭和2年(1927年)に建った農家の主屋。入母屋造の表玄関と切妻造の裏玄関を並べ、中廊下で生活と接客の部屋を分ける。和風の座敷に洋小屋とガラス建具を合わせ、平成30年に登録有形文化財となった。
西東京市下保谷の髙橋家住宅にある明治8年(1875年)の土蔵。桁行4間・梁間2間の土蔵造2階建で、切妻造の置屋根を載せる。関東大震災後に漆喰壁へ鉄板を張り、窓庇の持送りには繰形を刻む。平成30年に登録された。
西東京市下保谷の髙橋家住宅で最も古い江戸末期の納屋。もとは平屋建の馬屋で、戦前までに2階を増築した。桁行4間半・梁間3間の木造で、西面に吹き放ちの下屋を設け、柱や梁は当初の姿をよく残す。平成30年に登録された。
東京都福生市の田村酒造場の敷地東側、玉川上水に面して大正後期に築かれた石垣。総延長145メートルで東面から南面の東寄りまで矩折れにのび、河原石を腰高まで積んで天端石をわずかに迫り出させ、酒造場の水辺の景観を整える。
東京都福生市の田村酒造場に建つ昭和前期の木造及び土蔵造平屋の建物。玉川上水から引いた導水路の脇に、4間四方の水車小屋と土蔵造の脇蔵を切妻造鉄板葺の1つの屋根でまとめ、水車動力による精米の様子を伝える。
東京都福生市の田村酒造場に建つ文政5年(1822年)頃の土蔵造平屋の酒造蔵。南から本蔵・中蔵・新蔵が連なり、本蔵の南に帯鉄で補強した八角形の煉瓦煙突が立つ。大正期の増築を重ねた建築面積912平方メートルの大土蔵。
東京都福生市の田村酒造場に建つ文久2年(1862年)の土蔵造2階建の蔵。桁行10.8メートル、置屋根式の桟瓦葺で入口を2か所にもち、小屋は和小屋。前蔵の南に棟の向きを違えて接し、江戸末期の酒造場の様子を伝える。
東京都福生市の田村酒造場に建つ文政13年(1830年)の土蔵造2階建の蔵で、もとは米蔵。桁行6.3メートルの妻入の小さな蔵で、置屋根の桟瓦葺、腰高の簓子下見板、2階東正面の両開土扉が酒造場の草創期の姿を残す。