東京都の登録有形文化財
東京都 · 登録有形文化財
功運寺鐘楼は中野区上高田の萬昌院功運寺に建つ方一間の鐘楼。寛延2年(1749年)頃の建築で大正3年(1914年)に移築された。詰組の組物と籠彫の木鼻、獅子形の木鼻が見どころで、平成26年(2014年)に登録された。
国際基督教大学泰山荘表門は、昭和11年頃に建てられた茅葺の薬医門。横木と梁に江戸城幸橋御門の枡形土壇から出た古材を使い、焼失した母屋の「泰山荘」の額を掲げる。二通りある寸法の記録と見学条件を解説する。
国際基督教大学泰山荘蔵は、書院の東に建つ昭和11年頃の鉄筋コンクリート造の平屋の蔵。瓦葺切妻・妻入という土蔵の姿を保ちながら、蔵前を除く庫室を高床とする。泰山荘での位置と見どころ、見学条件を解説する。
国際基督教大学泰山荘高風居は、松浦武四郎が全国の社寺の古材で組んだ書斎「一畳敷」を抱く茅葺の茶室。紀州徳川家の徳川頼倫が大正14年に建て、昭和11年頃に三鷹へ移築された。来歴と見どころ、見学条件を解説する。
国際基督教大学泰山荘車庫は、表門を入って右手に建つ昭和11年頃の木造の車庫。寄棟造・下見板張で南面に3枚の扉を付け、郊外住宅地に自動車が広まった時代を示す遺構とされる。泰山荘での位置と見学条件も解説。
国際基督教大学泰山荘書院は、昭和11年頃に新築された瓦葺の平屋の座敷棟。上段付きの8畳と6畳の2室に畳縁と濡れ縁を回す。昭和41年の母屋焼失で被害を受けたのち修復され、特別公開日には茶会の場となっている。
国際基督教大学泰山荘待合は、岡山藩主池田家の茶室「池亭」を移したと伝わる江戸時代末期の茅葺の建物。崖下の高風居を本席とした茶会で、客の控えの場として使われた。土間を持つ農家風の姿と見学条件を解説する。
国立天文台表門は東京都三鷹市の三鷹キャンパス東面に開く大正14年建設の正門である。鉄管を芯としたコンクリート造の門柱に角石を乱れ張りし、柱頭と足下の石には縦溝を彫る。2014年に登録有形文化財となった。
国立天文台旧図庫及び倉庫は、東京都三鷹市の構内中ほどに建つ昭和5年建設の鉄筋コンクリート造2階建である。スクラッチタイル貼の壁面に水平の小庇と1階の丸窓を配しており、2014年に登録有形文化財となった。
国立天文台ゴーチェ子午環室は、東京都三鷹市に大正13年に建てられた半円形立面の観測用建物である。1903年フランス製の子午環を建物から独立した基礎に据えており、平成26年(2014年)に登録有形文化財となった。
国立天文台第一子午線標室は、東京都三鷹市のゴーチェ子午環室から南約100メートルに建つ大正14年建設の構造物である。建築面積7.3平方メートルに子午線標を納め、平成26年(2014年)に登録有形文化財となった。
国立天文台第一赤道儀室は東京都三鷹市に大正10年に建てられた観測用建物で、三鷹キャンパスでは最も古い。口径20センチのツァイス製屈折望遠鏡を重錘時計駆動の架台に載せる。2002年に登録有形文化財となった。
国立天文台大赤道儀室は、東京都三鷹市に大正15年に建てられた総高19.5メートルの観測用建物である。日本最大の口径65センチ屈折望遠鏡を収め、観測床は昇降した。現在は天文台歴史館として公開されている。
国立天文台第二子午線標室は、東京都三鷹市のゴーチェ子午環室から北約100メートルに建つ大正14年建設の構造物である。第一子午線標室と同型で南北対称に置かれ、平成26年(2014年)に登録有形文化財となった。
国立天文台太陽分光写真儀室は、東京都三鷹市に昭和5年に完成した塔状の観測用建物である。頂部のシーロスタットで受けた太陽光を塔の内部に落として分光する仕組みで、通称はアインシュタイン塔。1998年登録。
国立天文台門衛所は、三鷹キャンパス正門の北に建つ大正13年建設の木造平屋建である。切妻屋根の玄関とハーフティンバー風の妻面、下見板張の外壁を持ち、内部はかつて六畳と四畳半の和室であった。2014年に登録。
国立天文台レプソルド子午儀室は東京都三鷹市に大正14年に建てられた36平方メートルの観測用建物である。観測時には切妻屋根が中央から開く。1880年製の子午儀を展示し、2014年に登録有形文化財となった。
小杉湯は東京都杉並区高円寺北の高円寺駅北の商店街にある昭和8年(1933年)の木造2階建の銭湯で、登録有形文化財。正面に千鳥破風と唐破風の庇を掲げ、浴室は越屋根の高窓とペンキ絵をもつ。改修を経ているが、東京の銭湯の典型例の一つ。
五島美術館本館は東京都世田谷区上野毛にある昭和35年(1960年)の美術館の本館で、登録有形文化財。東急電鉄の創業者五島慶太の喜寿を記念し、吉田五十八が寝殿造を参照して、丸柱や蔀戸の意匠、深い軒で平安朝の意匠を鉄筋コンクリートで表した。
渋谷区東に建つ広尾小学校は、昭和七年竣工の鉄筋コンクリート造校舎。関東大震災後の復興末期に東京府が設計し、消防署同居のため火の見櫓を備える。現役の小学校として使われ、国の登録有形文化財に登録されている。