秋田県・明治
Meiji秋田県 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
秋田県横手市大森町に佇む赤川家住宅蔵は、明治期に建てられた一棟の土蔵です。2005年に国の登録有形文化財(建造物)として登録され、豪雪地帯ならではの職人技と、近代の地方商家の繁栄を今に伝える貴重な建築遺産。保呂羽山の麓に広がる大森の町並みと共に、雪国秋田の文化的景観を形づくっています。
秋田県羽後町西馬音内に佇む旧対川荘は、明治後期に建てられた木造二階建の庭園建築です。西馬音内川を望む開放的な設計と、河東碧梧桐ら文化人が愛した歴史を持ち、2011年に国の登録有形文化財に登録されました。現在はCAFE OHZANの森のカフェとして、歴史ある空間でスイーツを楽しむことができます。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の北米蔵は、明治41年(1908)建築の土蔵造で、附属屋七棟のうち最大。南米蔵と屋根を一連に葺き、一本の長い棟をなす。両開きの土戸を構える。入館無料。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の北野小休所は、明治14年(1881)に明治天皇の御小休所として建てられ、後に当家敷地へ移築。寄棟屋根の北に入母屋の塔屋が立つ。造形の規範として登録。入館無料。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の座敷蔵は、明治23年(1890)建築の土蔵造二階建。二階に八畳座敷を備え、貯蔵と接客を兼ねる。白漆喰の壁の腰に切石を張る。豪農の格を示す一棟。入館無料。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の新住居は、明治28年(1895)に主屋へ接続して建てられた木造二階建。昭和41年の主屋修理で切り離された。二階に四畳茶室を備える。主屋と対で読める。入館無料。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の味噌蔵は、明治7年(1874)棟上げの土蔵造で、年代の判る附属屋七棟のうち最古。招き屋根形の置屋根に銅板を葺き、小屋組に曲がりの強い登り梁を用いる。入館無料。
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅の南米蔵は、明治26年(1893)建築の土蔵造。北米蔵と屋根を一連に葺き、一本の長い棟をなす。豪農の米を納めた対の蔵の先発。両開きの土戸を構える。入館無料。
雄物川舟運で栄えた秋田県大仙市角間川町に建つ、明治33年築の登録有形文化財。東列に座敷三室、中列に仏間と納戸、西列にオエを配し、矩折れの通り土間と高窓が豪雪地の暮らしを映す。設計は小峰興義、棟梁は寺嶋庄右衛門。
秋田県大仙市角間川町。慶応3年着工、明治2年竣工の土蔵造二階建。外側の鞘に包まれ屋内から出入りする秋田県南特有の内蔵形式で、桁行16.4メートル、柱は漆で拭う。四棟のうち最古で、有料ガイドツアーで内部を見学できる。
秋田市新屋の酒蔵で、各醸造施設と主屋を結ぶL字形平面の木造平屋建。南を米を蒸す釜場、北を搾りの槽場とする。明治後期の建築で敷地最大の床面積を持ち、醸造工程の動線を示す中枢施設である。
明治四十一年建築、桁行十八間に及ぶ敷地最長の仕込蔵で、仕込蔵のうち最も古い。正面入口は扉廻りを掛子塗とし、門構風に盛り上げて眉形の繰形を付すなど、新屋の醸造が支えた左官の技を示している。
主屋北側に建つ明治四十一年の土蔵で、酒造の登録建物では唯一の二階建。もと文庫蔵を酒母培養の蔵に転用したもので、門構風の扉廻りに眉形の繰形を付す、古い蔵に共通する左官の意匠を残している。
秋田市雄和地区に残る明治期の大型農家建築。肝煎を務めた大宮家の居宅として建てられた中門造の茅葺き屋根が美しい登録有形文化財で、きりたんぽづくり体験や日本間の貸切利用も楽しめます。
秋田県由利本荘市赤田に佇む長谷寺大仏殿は、高さ約9メートルの金箔押し十一面観音像「赤田の大仏」を安置する、秋田県唯一の大規模仏殿です。明治期に忠実に再建された宝形造の建築と、名工たちによる見事な彫刻・絵画が調和する国登録有形文化財をご紹介します。
秋田県仙北市・乳頭温泉郷の最奥にたたずむ「鶴の湯温泉本陣」は、江戸時代の湯治場の面影を色濃く残す茅葺きの長屋建築。1638年、秋田藩主・佐竹義隆の湯治に同行した警護武士の詰所に由来し、現在の建物は明治期に建てられ、2010年に国の登録有形文化財となった。乳白色の露天風呂や囲炉裏料理とともに、失われかけた日本の原風景を体感できる。
那波紙店の五棟で唯一、建築年が明治三十年と確定する蔵。桁行一一メートル、建築面積157平方メートルは同店最大で、瓦葺も一棟のみ。黒漆喰の外壁、舟肘木が棟木を受ける小屋組。座売りの紙はここから運び出された。非公開。
秋田市大町に建つ建築面積463平方メートルの町家。明治十九年の俵屋火事の後に再建され、平成26年に登録有形文化財となった。化粧梁を見せる妻壁、コミセの名残、奥へ抜けるトオリの土間。創業明治十一年の紙商が、今も店を開けている。
那波紙店の敷地北寄りに建つ土蔵造二階建。桁行七・三メートル、建築面積106平方メートル。置屋根を主屋と一連に架ける内蔵形式で、西面には上質な掛子塗の扉を吊る。文化庁は明治41年の移築と記し、県資料は移築に触れない。非公開。
通りを挟んだ別敷地に建つ建築面積70平方メートルの土蔵。那波紙店の登録五棟で最小である。隣接地にあった那波伊四郎家住宅の内蔵と考えられ、住宅が失われた今は覆い屋が架かる。腰は簓子下見板張、小屋組は曲がり梁の二重梁。