広島県の登録有形文化財
広島県 · 登録有形文化財
広島県東広島市西条本町にある江戸時代の土蔵1棟である。窓の鉄格子銘から1836年の建築とわかり、地域に現存する土蔵では最古とされる。市は市の史跡の構成の一つに挙げる。平成29年(2017年)に登録された。
広島県尾道市東土堂町の千光寺参道に面して建つ大正12年(1923年)ごろの旧旅館。高い石垣の上に建ち、東面の縁から尾道水道を望む。入母屋造の軒に丸太の扇垂木を配し、現在は宿泊施設として活用されている。
広島県東広島市高屋町白市、鋳物師として栄えた伊原惣十郎家の主屋。明治4年頃の建築で、本町通りに南面する木造2階建入母屋造。一階出格子に付く大振りの錺金具が、金属を扱った家業を映す。令和7年に登録有形文化財となった。
広島県東広島市高屋町白市、鋳物師伊原惣十郎家が大正前期に建てた家財蔵。わずか23平方メートルに三階を重ねた白市唯一の三階蔵で、白漆喰と黒漆喰の腰、鉄扉付の窓を備える。令和7年に登録有形文化財となった。
広島県東広島市高屋町白市、鋳物師伊原惣十郎家の主屋北東に建つ明治前期の離れと四畳半茶室。梨本宮の御寄宿のため建てられたと伝わり、造形の規範として令和7年に登録有形文化財となった上質な客間。
広島県東広島市高屋町白市、鋳物師伊原惣十郎家の敷地南面を画す明治前期の門と塀。石段を上る一間薬医門は赤瓦にシャチホコの飾り瓦を載せ、漆喰塗の塀が続く。令和7年に登録有形文化財となった。
いろは丸展示館は、広島県福山市鞆町の船着場の正面に建つ江戸時代末期の2階建ての土蔵で、平成9年に登録有形文化財となった。なまこ壁の妻を港に向け、坂本龍馬のいろは丸の引き揚げ資料を展示している。
広島県福山市神辺町、堂々川の右岸支谷の上流部にある江戸時代後期の石積堰堤。堤長21メートル、堤高3.8メートル。空石積と乱積の両袖、算木積の隅、谷積の上部を一つの堤に備え、両袖は水通より前へ張り出す。平成18年登録。
東広島市西条の旧西国街道に面して建つ太田家住宅主屋は、明治38年(1905年)頃の間口6間の町家。1階の平格子と出格子、2階正面の黒いタイル張りを外観の見どころとして、道路からの見学方法とあわせて紹介する。
東広島市西条の太田家住宅北土蔵は、明治後期の土蔵を昭和前期に敷地の北東へ移築した2階建ての蔵。階の境を回る瓦の水切、南の妻面の出入口と庇、弓なりの梁を使う小屋組を、道路からの見学方法とあわせて紹介する。
東広島市西条の太田家住宅茶室棟は、主屋と離れを渡り廊下で結ぶ昭和前期の茶室建築。6畳と4畳半の2室はともに数寄屋風で西の面に床を備え、4畳半の茶室は網代天井に掛込天井を組み合わせる。見学方法も紹介する。
東広島市西条の太田家住宅離れは、敷地北西の隅に建つ昭和前期の離れ座敷。庭に向けてガラス戸を開き、東の座敷は大ぶりの床の左右に床脇と書院を備える。良材を用いて端正にまとめた内外のつくりと見学方法を紹介する。
東広島市西条の太田家住宅南土蔵は、昭和前期の2階建て土蔵。漆喰の壁に海鼠壁の腰を回し、街道を向く南の妻面では上下で付け方の違う庇と梁の端の小庇が意匠を見せる。旧西国街道から外観を眺めるときの見方を紹介する。
東広島市西条の太田家住宅門及び塀は、敷地北面に開く薬医門と総延長33メートルの塀からなる昭和前期の工作物。女梁の絵様、竪板張りの外塀、下地窓を飾る内塀を、北側の道から眺めるときの見方とあわせて紹介する。
東広島市白市の大藤家住宅主屋は、昭和4年ごろの旧酒造家の店舗兼住宅。入母屋造妻入の2階建で東正面を出桁造とし、ガラス窓の並ぶ通り土間と雨戸だけの廊下をもつ2階座敷が開放的。2022年に登録有形文化財に登録。
東広島市白市の大藤家住宅釜場は、焼酎とみりんを造った大藤家の昭和4年ごろの作業棟。切妻造平入の平屋で、土間に酒粕切場・釜場・薪置場が東から並び、醸造用の半地下の釜場とキングポストトラスの小屋組が今も残る。
東広島市白市の大藤家住宅土蔵は、敷地の西端で南の路地に面する江戸末期の家財蔵。切妻造妻入の2階建で外壁は軒まで漆喰塗り、東面に土戸を建て、2階に二重梁の和小屋を現す。窓の少ない重厚な外観で2025年に登録。
東広島市白市の大藤家住宅離座敷は、主屋と2階建の渡廊下で結ばれた昭和4年ごろの離れ。1階に事務室と作業場、2階に東西の続き間座敷を置き、西室に床・違棚・付書院を備える。4棟で唯一「造形の規範」として登録された。
広島県東広島市の西条酒蔵通りに北面して建つ岡田家住宅主屋は、昭和前期の酒問屋の商家。入母屋造妻入の正面に幅広い出格子を構え、黒タイル貼の二階は両端に袖卯建を設ける。令和3年に国の登録有形文化財となった。内部は非公開。
岡田家住宅土蔵は、広島県東広島市の主屋の南に西面して建つ昭和前期の蔵。一間幅の蔵前に入母屋屋根をかけて格天井を張り、外壁は軒先まで漆喰で塗り込め、腰をモルタル洗出しとする。令和3年に国の登録有形文化財となった。