鹿児島県・明治
Meiji鹿児島県 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
鹿児島県肝属郡肝付町大字新富にある住宅2棟である。おもてが文化6年で、なかえが明治22年で90年もの開きがある。時代の欄は江戸のままであり、昭和50年(1975年)に重要文化財へ指定された2棟である。
鹿児島県鹿児島市吉野町にある明治時代の事務所建築1棟である。もと串木野村の島津家の金鉱山事務所で、二度移築された。下見板貼りの外壁と連続アーチのベランダに、和風の屋根をかける。平成11年(1999年)に登録された。
鹿児島県日置市伊集院町大田にある明治時代の水力発電所の本館1棟である。石造平屋建で、南隅に八角形の塔屋を張り出し、妻面には島津家の家紋をあしらう。平成20年(2008年)に登録された1棟の本館である。
旧鹿児島県立尋常中学校門は鹿児島市山下町に立つ明治27年建造の洋風石造門。間口3.1メートル、本柱の高さ2.3メートル。中学校正門、県立図書館正門、県庁舎裏門と役目を変えて残り、平成20年に登録有形文化財となった。
旧重富島津家別邸石塀は、鹿児島市清水町の旧重富島津家別邸にある明治後期の石造及び煉瓦造の塀で、平成26年に登録有形文化財となった。総延長24メートルで、敷地の起伏に応じて屈曲し高さを変える。
旧重富島津家別邸主屋は、鹿児島市清水町の旧重富島津家別邸にある明治後期の木造平屋建ての主屋で、平成26年に登録有形文化財となった。3棟を雁行させた旧大名家の上質な別邸建築である。
鹿児島市の旧島津家吉野殖林所は、明治42年(1909年)築の木造平屋建の洋風建築。ムクリ屋根の玄関に懸魚と丸十紋の蟇股をのせる。昭和61年に現在地へ移築され、今は磯工芸館として薩摩切子を展示販売している。
旧曽木発電所ヘッドタンクは、鹿児島県伊佐市大口の旧曽木発電所の本館の北東の高台にある明治42年建設の石造の施設で、平成18年に登録有形文化財となった。九州に築かれた初期の水路式発電所の遺構である。
旧曽木発電所本館は、鹿児島県伊佐市大口にある明治42年建設の煉瓦造の水力発電所の本館で、平成18年に登録有形文化財となった。発電機棟と事務棟からなり、九州南部の大規模な煉瓦建築として最初期のものである。
鮫島家住宅石塀は、鹿児島県南さつま市加世田麓の屋敷を囲む明治後期の石塀。地元産の凝灰岩を長さ1.0メートルほどの切石にして積み、上部に生垣をのせる。総延長72メートルで、加世田麓の集落景観をつくっている。
鮫島家住宅井戸は、鹿児島県南さつま市加世田麓にある明治後期の石造井戸。三方を凝灰岩の切石で囲い、石板の片流れ屋根と両開きの板戸を付け、前方に石貼りの洗い場、北側に水神を祀る。平成23年に登録有形文化財。
鮫島家住宅内蔵は、鹿児島県南さつま市加世田麓の主屋台所の北に建つ明治後期の2階建土蔵。桁行7.0メートル、東面に奥行3.2メートルの深い庇を付け、高い礎石で床下を70センチ上げて地面からの湿気を防いでいる。
鮫島家住宅蔵は、鹿児島県南さつま市加世田麓の通りに面して建つ明治後期の平屋の土蔵。桁行7.9メートル、通り側の足元に切石を高く積み、北面を葺き降ろした蔵前に引込戸を立てる。平成23年に登録有形文化財。
鮫島家住宅主屋は鹿児島県南さつま市の加世田麓にある明治後期の分棟型住宅。台所棟は切妻造、座敷棟は東入母屋西切妻造で、漆喰の大壁に包まれる。建築面積285平方メートル、平成23年に登録有形文化財となった。
鮫島家住宅坪庭門は、鹿児島県南さつま市加世田麓で主屋へ向かう通路と座敷前の庭を画す明治後期の腕木門。間口1.3メートル、楣と棟木の間に流水に鴎を彫る板欄間を装置し、一軒の疎垂木で軽やかに仕上げている。
鮫島家住宅門は、鹿児島県南さつま市加世田麓の蔵の東に接して建つ明治後期の長屋門。木造2階建で2階を居室とし、漆喰の大壁に矩形の窓を穿つ。屋根は西切妻東寄棟造で、通り側の足元には切石を高く積み上げている。
鮫島博家住宅石塀は、鹿児島県南さつま市加世田麓にある明治前期の石塀。凝灰岩の切石を丁寧に布積とし、高さ2.1メートル、総延長49メートル。中段で積石の外上角を斜めに突出させる独特の技法で築かれた塀である。
鮫島博家住宅蔵は、鹿児島県南さつま市加世田麓の敷地西隅、入口脇に建つ明治前期の土蔵。桁行5.1メートル、凝灰岩切石布積の基礎に漆喰壁を立て、南東妻面の出入口に下屋を設ける。平成24年に登録有形文化財となった。
鮫島博家住宅主屋は、鹿児島県南さつま市加世田麓にある明治前期の武家住宅。入母屋造桟瓦葺に下屋を廻らし、正面中央の玄関の奥に6室を配す。赤色の土壁と奥座敷の軍配形窓が特色で、平成24年に登録有形文化財となった。
鮫島博家住宅門は、鹿児島県南さつま市加世田麓の敷地北西に通りから後退して建つ明治前期の腕木門。間口1.8メートル、楣上に格子を組み、垂木に反りをもたせる。左右の袖塀は腰を簓子下見板張、上部を竪板張とする。