京都府の登録有形文化財
京都府 · 登録有形文化財
1925年、京都大学創立25周年を記念して建設された楽友会館は、日本初の近代建築運動「分離派建築会」の創設メンバー・森田慶一が設計したスパニッシュ・ミッション様式の洋館です。Y字型柱のポーチや森谷延雄による室内装飾など、大正建築の粋を今に伝える国登録有形文化財。
京都大学吉田キャンパスに佇む尊攘堂は、1903年築の煉瓦造平屋建ての登録有形文化財です。吉田松陰の遺志を継いだ門弟・品川弥二郎が創設した記念堂に由来し、維新志士の遺墨や遺品を収蔵してきました。スタッコ塗りの外壁や鉄造の玄関ポーチなど和洋折衷の意匠が特徴で、現在は埋蔵文化財の資料室として活用されています。
京都市中京区堺町通に佇む旧堀野家本宅主屋は、天明元年(1781年)創業のキンシ正宗発祥の地に残る明治中期の大型京町家です。切子格子や虫籠窓、黒漆喰の外壁が美しい外観と、1階に数寄屋風座敷・2階に書院座敷を配した独自の構成が高く評価され、国の登録有形文化財に登録されています。
天明元年(1781年)創業のキンシ正宗発祥の地に残る天明蔵は、京都市中京区の堺町通沿いに建つ江戸時代の二階建て土蔵造酒蔵です。中央に棟持柱を配した古式の構造が特徴で、国の登録有形文化財に登録されています。京都中心部に残る酒造業者の居宅遺構として、主屋・文庫蔵とともに貴重な建造物群を構成しています。
文政3年(1820年)に建てられた旧堀野家本宅の文庫蔵は、天明元年創業のキンシ正宗の歴史を今に伝える国の登録有形文化財です。土蔵造2階建の耐火建築で内部の保存状態は良好。京都中心部に残る造り酒屋の居宅遺構として、名水「桃の井」とともに貴重な文化遺産を形成しています。
京都・伏見の宇治川に架かる近鉄澱川橋梁は、1928年に陸軍演習地を避けて無橋脚で架けられた単独トラス。支間164.6mは日本の単純トラス橋で今も最大、登録有形文化財。
京都・室町通の呉服商街に建つ熊谷家住宅主屋は、大正13年頃に建てられた木造2階建の町家です。道路から塀で隔てられた大塀造とし、座敷とダイドコを東西の廊下で分け、正面に洋間を設けた和洋折衷の意匠が、2016年に登録有形文化財となりました。
真宗興正派本山・興正寺の御影堂。明治35年の大火後、宗祖親鸞650回大遠忌に合わせ明治44年に再建された。約1,123㎡の大規模仏殿で内陣は金箔押、令和7年に登録有形文化財となった。
興正寺の正面、堀川通に東面して建つ三間三戸の楼門。大正4年頃の再建で、三手先の組物と二軒扇垂木に加え、一階の羽目板を埋め尽くす牡丹唐草の彫刻が見どころ。令和7年に登録有形文化財となった。
境内南東に建つ安永3年(1774)建立の鐘楼。皇太后恭礼門院が梵鐘とともに寄進したと伝わり、明治35年の大火を免れた境内最古の建物。禅宗様と和様の折衷が見どころで、令和7年に登録有形文化財となった。
御影堂と阿弥陀堂を結ぶ大正7年建立の渡廊下。唐破風造の本瓦葺で、几帳面取の角柱や笈形付大瓶束、輪垂木の化粧天井など細部の意匠に優れる。令和7年に登録有形文化財となった興正寺の一棟。
御影堂の北東に建つ大正前期の手水屋形。四方転びの柱に三斗を組み、中備には龍の蟇股、内部は石敷床に格天井とする。小規模ながら良質なつくりで、令和7年に登録有形文化財となった興正寺の一棟。
阿弥陀堂門の両脇に延びる江戸末期の築地塀。延長約24m、切石積基礎に二軒繁垂木を載せ、外側の白漆喰に格式を示す定規筋五本を付す。境内最古級の塀で、令和7年に登録有形文化財となった。
三門の南袖塀から矩折れして南へ延びる大正前期の築地塀。延長約45mと境内最長で、二軒疎垂木や定規筋五本を付す。江戸期の北側塀と対をなし、令和7年に登録有形文化財となった興正寺の一棟。
京都市下京区の河原町通に面して建つ壽ビルディングは、昭和2年(1927年)竣工の鉄筋コンクリート造5階建の登録有形文化財です。アール・デコ風の意匠や竜山石の玄関装飾など、昭和初期の貴重な近代建築の魅力をご紹介します。
去木庵は京都市南区東九条にある大正2年築の離れ。長谷川家十一代当主で水彩画家の長谷川良雄が兄の養生宅として設計した建物で、障子や欄間にガラスを多用し、組子を幾何学に割る。平成29年に登録有形文化財となった。
御影堂の北東に南面する金戒光明寺の方丈。昭和九年の火災後、昭和十一年に再建された六間取りの雄大な書院造で、久保田金僊の虎図など障壁画を備える。幕末に会津藩が本陣を置いた地に建ち、特別公開時に内部を拝観できる。
大方丈の南正面に建つ金戒光明寺の唐門。面積わずか七平方メートルほどの四脚門ながら、向唐破風の銅板葺屋根、吹寄菱欄間、濃密な絵様繰形に昭和初期の彫りの技が凝縮される。境内自由で間近に意匠を観察できる小さな名建築。
大方丈の東に建ち寺務所と接続する金戒光明寺の玄関。昭和十一年の建築で、正面に銅板葺唐破風の車寄を構える。板敷の洋風応接室と書院造の和の座敷が対比し、和の骨組みに洋風細部を織り込んだ昭和初期の趣を見せる。
唐門から矩折れに延び、大方丈の南庭を区画する金戒光明寺の築地塀。総延長約五七メートル、切石積基壇に建つ瓦葺の土塀で、壁面の五本の定規線は最高位の寺格を示す。門や堂と一体に計画された境内空間を形づくる。