京都府の登録有形文化財
京都府 · 登録有形文化財
京都府宮津市万町の今林家住宅の北東隅に建つ明治期の土蔵で、建築面積17平方メートルは7棟で最小。漆喰塗に竪板張の腰、妻面中央の上下の窓という簡素な外観で、ほかの3棟と同じく垂木を扇状に配する。平成14年に登録された。
京都市中京区の新町通にある明治期の表屋造の町家で、木造2階建、建築面積は180平方メートルである。一階の正面は土間の戸口、揚げ見世、出格子の三つに分かれている。平成26年に登録有形文化財となった1棟。
京都市中京区の御池通烏丸東入にある明治16年(1883年)の店舗で、木造2階建、建築面積は80平方メートル。平面は別に登録された巽蔵を囲むL字型で、総土間としている。平成16年に登録有形文化財となった。
青木家住宅主屋は京都市中京区富小路通三条上るに建つ昭和5年の木造二階建住宅。通り側にステンドグラスと暖炉を備えた洋間を置き、玄関を介した奥に数寄屋の和室棟を構える。平成26年登録の有形文化財で、個人住宅のため非公開。
青木家住宅土蔵は京都市中京区富小路通三条上るに建つ昭和5年の土蔵造二階建。桁行3.9メートル、建築面積13平方メートルの小さな蔵で、中庭を挟んで数寄屋の主屋と向き合う。平成26年に登録有形文化財となった。
加賀正太郎が営んだ大山崎山荘に建つ小さな茶室。立礼席が持仏堂を兼ね、石敷の主室に床と仏壇を備える。丸太を用いた軽快で開放的な数寄屋風の造りで、通常は非公開だが、春秋の茶会で特別に開放されることがある。
加賀正太郎の大山崎山荘に建つ小茶屋。斜面に石張りの鉄筋コンクリート地階を築き、その上に丸太組の席を張り出す懸造風の構え。寄木の土間床や下地窓をもつ数寄屋意匠で、和洋を巧みに折衷する。通常は非公開。
実業家・加賀正太郎が大正から昭和にかけ自ら設計した英国チューダー様式の山荘。ハーフティンバーの外観とジャコビアン様式の室内をもち、現在はモネ《睡蓮》や民藝コレクションを展示する美術館本館として公開されている。
京都府福知山市下柳、由良川左岸の堤防斜面に建つ大正15年築の木造住宅。近代福知山の基盤を築いた実業家片岡久兵衛の別業で、最上階は赤松を用いた赤松普請の座敷となる。平成12年に国の登録有形文化財となり、内部は非公開。
網野神社の参道口に立つ石造の明神鳥居。明治14年の建立で、高さ5.5メートル、幅4.4メートル。大正期に現在地へ移築され、昭和2年の北丹後地震で倒壊した後、昭和4年に元の姿へ復旧された。
網野神社の旧本殿を転用した蠶織神社本殿。天明2年建立で境内最古、檜皮葺の一間社流造に龍や唐獅子の華麗な彫刻を飾る。大正14年に織物と養蚕の神を祀り、丹後のちりめん祭の象徴となった社殿である。
拝殿北面の西端に建つ網野神社神饌所。神前に供える神饌を調える実用の建物で、昭和前期の建築である。切妻造金属板葺の小規模な棟だが、緩い勾配の屋根と横連子窓に素朴な整いを見せる建物だ。
本殿を囲んで巡る網野神社の透塀。延長約30メートル、昭和前期の建築で、腰を横板壁、上部を菱格子とする。東西に両開戸を構え、背面は屋根のない瑞垣とし、本殿まわりを厳粛に結界する構えである。
網野神社の参道脇に建つ手水舎。府社昇格を記念して昭和18年に新築され、設計は京都府技手の風間利之が担った。四方を吹き放つ切妻造銅板葺で、面取方柱に舟肘木を置く軸太な意匠を特徴とする。
網野神社の登録8棟で最大の拝殿。大正11年建立の建物が昭和2年の北丹後地震で倒壊し、昭和4年に岸熊吉の設計で再建された。正面に千鳥破風と唐破風を重ね、内部は折上小組格天井とする堂々たる社殿。
日本海に近い京丹後市網野町、網野神社の境内中央に建つ本殿。大正11年、古建築に精通した奈良県技師の岸熊吉が設計し、二重基壇上に一間社流造を据える。蟇股や木鼻の彫刻にその素養がうかがえる。
本殿と拝殿を結ぶ網野神社の渡廊。昭和4年頃、地震後の再建期の建築で、桁行二間の切妻造妻入とする。薄い舟肘木や垂木の反りに、小さな寸法のなかで働いた大工の繊細な感覚がよくうかがえる。
綾部大橋は京都府綾部市の並松町と味方町を結んで由良川に架かる昭和4年(1929年)の道路橋で、登録有形文化財。橋長210メートルの鋼製7連の曲弦ワーレントラス橋で、ライズを抑えたポニー形式とし、木造の旧橋の形式を受け継ぐ。
新居家住宅主屋は京都府京都市伏見区淀新町に建つ大正15年(1926年)の木造2階建の住宅で、登録有形文化財。玄関の北にスパニッシュ瓦を葺いた洋間、南に数寄屋風の和室を配し、幾何学的な意匠や根来塗の建具に創意を見せる郊外住宅の佳品。
荒木家住宅(旧林家住宅)主屋は京都市北区紫竹西南町にある文化4年(1807年)建築の木造平屋建。街路との間に前庭をとって南面し、土間の上には越屋根が上がる。平成19年登録の有形文化財で、個人住宅のため非公開。