栃木県の登録有形文化財
栃木県 · 登録有形文化財
稲荷川第十砂防堰堤は大正12年(1923年)に日光市の稲荷川に築かれ、昭和期に増築された登録有形文化財。中流域の狭い谷の出口に立ち、厳しい自然条件のなかで手直しを重ねて機能を保ってきた砂防の歴史を示す。
稲荷川第二砂防堰堤は大正9年(1920年)に日光市の稲荷川に築かれた登録有形文化財。流失した第一堰堤の反省から練積とし、丸みのある台形の水通しと8か所の水抜きを備える、蒲式と呼ばれる堰堤群の最古の1基。
稲荷川第四砂防堰堤は大正10年(1921年)に日光市の稲荷川に築かれた登録有形文化財。堤高3.6メートルと7基で最も低く、上流面を垂直、下流面を4分とし、上流の第二・第三堰堤と段をなす谷の景観をつくる。
稲荷川第六砂防堰堤は大正11年(1922年)に日光市の稲荷川に築かれた登録有形文化財。大谷川との合流点から約2.8キロ上流、安山岩の岩盤に据えた低い練積堰堤で、川の勾配を9.9%から5.4%に緩める。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅大門は、明治初期の木造瓦葺の薬医門で間口2.9メートル。本柱と控柱に架けた太い冠木が格式を示し、両脇に潜戸、左右に腰板張の漆喰袖塀が付く。2003年に登録有形文化財となった。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅旧納屋は、屋敷地の東南隅に建つ明治初期の木造2階建の納屋。東端に敷地の形に合わせた台形の下屋を付け、西・南・東の三面を押縁下見板張で整える。2003年に登録有形文化財となった。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅主屋は、明治初期の木造2階建で建築面積317平方メートル。西に式台玄関、東に機場を置いた織物の家の間取りを残し、2003年に登録有形文化財となった。いまは保育園の遊戯室。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅巽蔵は、屋敷東辺の石垣上に建つ明治初期の2階建の土蔵。外壁は白漆喰塗で、庭側の西面に土庇を差し掛けて蔵前とする。続蔵とともに東の景観の中核をなし、2003年に登録有形文化財となった。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅続蔵は、屋敷の東辺に建つ江戸末期の平屋の蔵。物置の巽屋・穀蔵・味噌蔵の3つを建てぐるみ式に一つの切妻屋根でまとめ、東面は板張り。2003年に登録有形文化財となり、いまは保育園の図書室。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅西蔵は、明治初期の2階建の土蔵で建築面積31平方メートルと7棟で最小。北の妻面に入口を開き、本蔵と壁沿いの渡廊下で結ばれる白漆喰の蔵で、2003年に登録有形文化財となった。
栃木県足利市小俣町の大川家住宅本蔵は、嘉永4年(1851年)に質蔵として建てられた2階建の土蔵。年代は蔵に残る貼紙から判明し、腰を黒漆喰、上部を白漆喰に塗り分ける。2003年に登録有形文化財となった。
佐野市天明町の太田家住宅稲荷社は、明治14年頃に太田家の屋敷の奥庭に祀られた建築面積0.5㎡の屋敷社。切妻造桟瓦葺の妻入で組物は舟肘木とし、菱格子の壁と格子入りの桟唐戸をもち、家紋入りの鬼瓦を据えている。
佐野市大和町の太田家住宅表門及び石塀は、見世蔵の南に昭和前期に築かれた石造の門と塀。切石積の石塀は高さ3.9m・延長9.8mで、御影石の角柱に渡した楣石の両端に獅子の彫刻を載せる。令和3年に国の登録有形文化財となった。
佐野市大和町の太田家住宅中蔵は、明治8年頃に屋敷の中央に建てられた土蔵造2階建と木造2階建をつないだ建物。土蔵は板張りの内部で、木造部は数寄屋風の意匠で使用人部屋と浴室を備える。令和3年に国の登録有形文化財となった。
佐野市大和町の太田家住宅西蔵は、明治8年頃に屋敷の西の縁に建てられた土蔵造2階建の蔵。東面に土戸の戸口と窓を2か所ずつ開け、内部は各階2室で2階の南室だけを畳敷とする。令和3年に国の登録有形文化財となった。
佐野市大和町の太田家住宅八幡社は、明治14年頃に屋敷の南に祀られた建築面積0.2㎡の屋敷社。一間社入母屋造銅板葺で、正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付け、組物を詰組として虹梁や拳鼻に精緻な彫刻を施している。
佐野市大和町の太田家住宅見世蔵及び主屋は、呉服太物商の太田家が明治8年頃に建てた土蔵造2階建の店蔵と、その西に直角につながる主屋。出桁造の軒裏まで漆喰で塗り込め、棟を高く積む。令和3年に国の登録有形文化財となった。
佐野市大和町の太田家住宅南蔵は、屋敷の南西隅に建つ江戸末期の土蔵造2階建の蔵で、7件のうち最も古い。軒下の鉢巻を二重にした重厚な外観をもち、小屋組は登梁と二重梁を交互に架ける。令和3年に国の登録有形文化財となった。
大谷好美館は栃木県鹿沼市今宮町にある明治時代後期の写真館で、登録有形文化財。神社への参道に西面する木造2階建・下見板張の建物で、正面にポーチを付け、妻壁を植物模様と「美」の文字で飾る。2階を広い撮影室とし、屋根に採光の天窓を設ける。
栃木県小山市乙女の国道4号に面した小川家住宅表門は、明治45年(1912年)ごろの門。御影石の門構えに板戸を建て、隅石・妻の洋風彫刻・繰形付きの軒蛇腹を備え、折れ曲がる10メートルの築地塀の中央に門口を開く。