全国の登録有形文化財
全国の登録有形文化財を一覧で検索できます。都道府県、時代、カテゴリーで絞り込み、詳しい解説を読み、地図や旅行のヒントで訪問計画を立てましょう。
東京都台東区上野桜木の市田家住宅主屋は、明治40年に日本橋の布問屋が隠宅として建てた木造2階建。6畳と8畳の座敷を東西に並べ、当時の住宅間取実例図集にも載った和風住宅の一例で、平成17年に登録有形文化財となりました。
東京・新宿区横寺町にひっそりと佇む一水寮は、1951年頃に大工寮として建てられた木造2階建ての国登録有形文化財。手斧で施された名栗仕上げの格子など、戦後復興期の大工技術が今に残る神楽坂の隠れた名建築をご紹介します。
東京都文京区本郷に建つ国登録有形文化財「エチソウビル」。大正13年竣工の糸物商・越惣商店の自社ビルは、デンティルやアーチ窓の装飾が美しく、本郷の街並みを彩る近代建築の名品です。
東京都中央区日本橋大伝馬町に建つ国登録有形文化財「江戸屋店舗兼住宅」。大正13年(1924年)竣工のアールデコ調看板建築と、享保3年(1718年)創業の刷毛・ブラシ専門店の歴史と魅力をご紹介します。
東京都杉並区にある岡田日帰上人記念講堂は、昭和12年(1937年)に立正高等女学校の講堂として建てられた鉄筋コンクリート造4階建ての建造物です。令和4年に国の登録有形文化財に登録され、東京立正中学校・高等学校で現在も使われています。創立者・岡田日帰上人の願いと建築の魅力をご紹介します。
東京都渋谷区東に佇む温故学会会館は、平成12年に登録有形文化財となった昭和2年竣工の鉄筋コンクリート建築です。江戸時代の全盲の国学者・塙保己一が編纂した『群書類従』の版木約2万枚を守り、関東大震災や戦災を乗り越えて創建当時の姿を残しています。設計・施工は清水組。塙保己一史料館として一般公開されており、渋谷駅から徒歩15分ほどで訪れることができます。
東京都大田区北嶺町に建つ御嶽神社水行堂は、慶応3年(1867)頃に建てられた木曽御嶽信仰の水垢離(みずごり)施設。龍の彫刻欄間や井戸付きの内部空間など、幕末の宗教建築を御嶽山駅から徒歩約2分の好立地で味わえる、国登録有形文化財です。
東京大学発祥の地に1928年に竣工した倶楽部建築。設計は佐野利器と高橋貞太郎、スクラッチタイル外壁と半円アーチ玄関が特徴。2003年に登録有形文化財、2025年に東京都指定有形文化財に。再開発のため休館中、2030年頃再開予定。
明治42年(1909)に学習院図書館として目白の地に建てられた木造建築。設計は文部省技師・久留正道。スティックスタイルの外観と、校章の桜花を象った持送り・床下換気口が見どころ。2009年登録有形文化財。
東京・浅草の玄関口に建つ神谷バー本館は、大正10年(1921年)竣工の鉄筋コンクリート造6階建て商業建築。日本で最初に「バー」を名乗った店として知られ、関東大震災や戦災を生き延び、平成23年に国の登録有形文化財に登録されました。三連の半円アーチ窓が美しい外観と、創業者・神谷傳兵衛が考案した名物「電気ブラン」を、ぜひ味わってみてください。
慶応四年、最後の将軍徳川慶喜が江戸城を出て二か月を過ごした書院が葵の間。十畳と八畳からなる質素な座敷で、下地窓や地袋棚に数寄屋風の趣を添える。徳川の世が終わった場が今も保たれている。
歌舞伎座や明治生命館で知られる岡田信一郎が、昭和二年に手がけた数少ない和風建築。寛永寺最初の子院・護国院の庫裏で、客殿部と住居部からなり、昭和初期の住宅建築の気風を明快な間取りに伝える。
上野戦争で焼失した寛永寺の本堂を、明治十二年に川越の喜多院から移築して再建したのが現在の根本中堂。桁行七間の大型仏堂で、秘仏の薬師如来を祀り、鏡天井や尾垂木付の組物に天台本堂の風格が残る。
日本資本主義の父・渋沢栄一が、先妻千代の十七回忌にあわせ明治三十一年に建てたと伝わる霊堂。桁行四間半の宝形造で、内陣境の欄間彫刻や杉戸の彩色画に、小さな堂ながら丁寧な技が息づいている。
東京都台東区雷門に建つ国登録有形文化財「ギャラリー・エフ蔵」。慶応4年(1868年)に材木商・竹屋長四郎が建てた土蔵は、関東大震災と東京大空襲を生き延び、アートギャラリーとして再生。現在は深大寺への移築が進められています。
東京都品川区の文庫の森公園に佇む旧三井文庫第二書庫は、大正11年(1922年)竣工、令和2年に国登録有形文化財に指定された貴重な建築です。現存する日本最古級の壁式鉄筋コンクリート造で、三井家の史料を守るために最新工法と職人の技で建てられました。タイル風の外壁、市松模様の窓、関東大震災を耐え抜いた歴史を、緑あふれる公園とともに楽しめます。
明治17年頃に名主・池谷藤右衛門が建てた土蔵。昭和前期にモルタル洗い出しで石造風に改修された。置屋根と観音開きの防火戸、切妻に残る「山藤」の紋章、画家・吉岡堅二が構想し実現しなかったアトリエ改造計画を紹介する。
東京都東大和市清水。名主・池谷藤右衛門が明治中期に建てた四間取の大型農家を、日本画家・吉岡堅二が昭和19年から46年間住みながら改造した。35.5センチの大黒柱、土間を転用したアトリエ、年2回の公開について。
旧吉岡家住宅中門は、主屋西側の坪庭と前庭を仕切る庭塀に開く間口1.8メートルの門。もとは表門で、昭和37年の長屋門建設時に現在地へ移された。起り屋根の効果、坪庭との関係、腕木門か棟門かをめぐる資料の相違を扱う。
東大和市の旧吉岡家住宅長屋門は昭和37年の建築。東村山の棟梁が持っていた解体長屋門の部材で建てられた。8個の乳鋲、都電の敷石150枚、画家自筆の胡粉の表札、法隆寺金堂壁画の模写に使われた北側和室を訪ねる。