福島県の史跡名勝天然記念物
福島県 · 史跡名勝天然記念物
福島県南相馬市原町区泉にある古代の役所跡である。礎石や瓦から寺の跡とされていたが、発掘で陸奥国行方郡の役所の跡とわかった。郡庁院、正倉院、舘院がそろう。平成22年(2010年)に史跡に指定された1件である。
福島県伊達郡桑折町にある伊達氏の居城跡である。分国法の塵芥集の条文に城下が名指しされ、天文の乱の講和の条件として破却された。側室の呼び名や化粧道の地名に城の名が残る。平成2年(1990年)に史跡に指定された。
福島県福島市下鳥渡の陽泉寺の背後の丘にある供養石塔である。研磨した石面に弥陀三尊来迎仏を半肉彫にし、側面に平氏の女性が母のために建てた旨と正嘉2年(1258年)の年紀を刻む。昭和10年(1935年)に史跡に指定された。
福島県いわき市泉町の沖合約250メートルに浮かぶ、高さ約30メートルの凝灰質砂岩の小島。ウミウの生息地・越冬地として昭和20年(1945年)2月22日に国の天然記念物に指定された。侵食で縮小が続いている。
会津新宮城跡は、福島県喜多方市、会津盆地北西部にある中世の有力国人新宮氏の城館跡で、平成21年に国の史跡に指定された。堀と土塁に囲まれた大規模な方形居館の主郭と外郭が極めて良好な状態で残っている。
入水鍾乳洞は、福島県田村市の大滝根山のカルスト台地にある総延長900メートル余りの大きな鍾乳洞で、昭和9年に天然記念物に指定された。洞内は水量が多く、A・B・Cの3コースで水の中を進む鍾乳洞探検ができる。
白河市の丘陵に残る白河結城氏の居城跡。天守はなく、平場・土塁・堀が城域全体に良好に遺存する。発掘で14世紀と16世紀の遺構面や中国製青磁が見つかり、松平定信が題字を書いた磨崖碑「感忠銘」も伝わる国指定史跡。
福島県白河市の丘陵にあった白河関跡は、奈良・平安期にみちのくへの人と物資を監視した古代の関。やがて所在を失いながらも歌枕として能因や芭蕉に愛され、松平定信の考証と発掘調査を経て昭和41年に国史跡に指定された。
福島県小野町の諏訪神社境内にそびえる翁スギと媼スギは、樹齢約1,200年と伝わる二本の巨杉。奈良時代に藤原継縄公が手植えしたと伝わり、1937年に国の天然記念物に指定されました。樹高約48メートル、幹周り9メートルを超える夫婦杉が揃って健在なのは日本でここだけ。歴史と神秘に満ちた巨樹の魅力をご案内します。
福島県会津若松市の神指町に立つ国指定天然記念物「高瀬の大木」を紹介します。樹齢約500年、根元周囲12.55メートルを誇るケヤキの巨樹は、慶長5年(1600)に上杉景勝が築こうとした幻の城・神指城跡の二の丸土塁上にそびえ、戦国末期から関ヶ原合戦へと連なる歴史の舞台を今に伝えています。
仙台を開いた伊達政宗の祖先が拠点とした、福島県伊達市の居館跡と城下。陸奥国守護に補任された稙宗の代に主殿や会所が整い、東北の中世館で唯一、館内の庭園跡が確認されている。令和元年に国の史跡に指定された。
福島県白河市の阿武隈川左岸、標高407メートルの独立丘陵頂部に位置する天王山遺跡は、弥生時代後期前半(およそ1世紀頃)の集落跡です。出土した土器は東北南部から北陸地方の標式資料「天王山式土器」として知られ、令和3年に国の史跡、令和6年には出土品が国の重要文化財に指定されました。整備された歩道で頂上まで登ることができ、白河市歴史民俗資料館では実物の出土品を見学できます。
いわき市渡辺町の観音堂境内に立つ大小2本のイロハカエデ。枝が外へ曲がって垂れ下がり、傘のような樹冠をつくる。この枝垂れは突然変異とされ、形態学・遺伝学的に貴重なため昭和12年に国の天然記念物へ指定された。紅葉は11月下旬から。
1969年の県道工事中に出現した福島県いわき市の中田横穴は、古墳時代後期の装飾横穴墓として知られる。後室の三方の壁に赤と白の連続三角文が三段に描かれ、床全面が朱に塗られた稀少な例。約1300点の副葬品も出土した。
福島県大玉村の福満虚空蔵尊境内に立つ「馬場ザクラ」は、樹齢千年を超えるエドヒガンザクラの老樹で、昭和11年(1936年)に国の天然記念物に指定されました。平安時代末期の武将・源義家が桜の鞭を駒止めとして土に挿し、それが根付いたという伝説から「駒止めの桜」とも呼ばれ、農民が種まき時期の目安としたことから「種まき桜」の別名も持ちます。例年4月20日前後に薄紅から白へと変化する花を咲かせ、千年の歴史を今に伝えています。
福島県川内村の標高842メートル平伏山山頂にある小さな沼「平伏沼」は、モリアオガエルの繁殖地として1941年から国の天然記念物に指定されています。木の枝先に白い泡状の卵塊を産み付ける珍しい習性をもつカエルの聖地で、村民が80年以上にわたり守り継いできた阿武隈の梅雨の風物詩を、その自然と文化的背景とともにご紹介します。
福島県南相馬市鹿島区、真野川南岸の段丘上に約100基が点在する国史跡。径10m前後の小円墳が主体で、墳丘長28.5mの前方後円墳20号墳からは全国でも数例しかない金銅製双魚佩一対が出土し、被葬者と中央政権との結びつきを伝える。