袴腰をはいた東院の鐘楼

法隆寺東院鐘楼は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺東院伽藍に建つ鎌倉時代前期の鐘楼で、明治33年(1900年)4月7日に最初の指定を受け、昭和30年(1955年)2月2日に国宝となった。伝法堂と舎利殿及び絵殿の中間の西寄りに建つ。

桁行3間・梁間2間で、下層を袴のように広がる板と漆喰で覆う袴腰付きの形式。屋根は入母屋造の本瓦葺である。東院の資財帳には記載がなく、寺の記録である『法隆寺別当次第』に応保3年(1163年)の建立とあるのが文献上の初見である。

袴腰の鐘楼として最古の遺構

古代の鐘楼は、西院の鐘楼のように二階建ての楼造だった。法隆寺東院鐘楼のように下層を覆いで包む袴腰の形式は、のちに広く普及するが、その現存例としてはこの鐘楼が最も古い。国宝として評価される一番の理由がここにある。

現在の建物は鎌倉時代中期の様式を示す。ただし頭貫・枠肘木・扠首などに応保年間の材とみられる部材が残っており、柱や組物、軒の大部分を取り替えて鎌倉時代に解体再建したものと考えられている。その後、桃山時代に小屋組と妻飾りが改められ、江戸時代には袴腰の下に地覆石を入れ、全面漆喰塗りだった袴腰の下方3分の2を板張りに改めた。現状はその姿を受け継いでいる。

上層の組物と天平の鐘

低い基壇の上に、下層は角柱を足固貫・飛貫・頭貫で固め、台輪をおいて上層の丸柱を受ける。上層の縁は頭貫を延ばして支え、組高欄をめぐらす簡素な形式である。

上層の組物は軒天井と支輪の付いた二手先だが、先端で三斗を省いて直接支輪桁を受ける、珍しく簡素な形をとる。軒は二軒の繁垂木。柱間ごとに垂木の間隔が違うのは、応保の建物の規模を踏襲して建て直したためと考えられ、垂木割りが定まっていく過渡期の例とされる。

吊られている梵鐘は、寺の記録『古今目録抄』に中宮寺の鐘と伝える天平時代のものである。東院のすぐ隣にある中宮寺との関係を、この鐘が物語っている。

見学のしかた

法隆寺東院鐘楼は東院伽藍の一画にあり、外観を見る建物である。上層には上がれない。袴腰の板張りと漆喰の境目、上層の組物は、少し離れて斜めから見上げると形がつかみやすい。

拝観時間・拝観料・交通は法隆寺のページにまとめてある。

Q&A

Q法隆寺東院鐘楼の「袴腰」とは何ですか?
A下層を袴のように裾広がりの覆いで包む形式です。この鐘楼は袴腰付きの鐘楼として現存最古の例です。
Q法隆寺東院鐘楼はいつ建てられましたか?
A記録上の初見は応保3年(1163年)の建立で、現在の建物は鎌倉時代に解体再建されたものと考えられています。
Q法隆寺東院鐘楼の鐘はどこから来たのですか?
A寺の記録では中宮寺の鐘と伝えられる天平時代の梵鐘です。
Q法隆寺東院鐘楼に上れますか?
A上れません。東院伽藍の一画で外観を見学する建物です。
Q法隆寺東院鐘楼はいつ国宝になりましたか?
A明治33年(1900年)4月7日に最初の指定を受け、昭和30年(1955年)2月2日に国宝となりました。

基本データ

名称法隆寺東院鐘楼(ほうりゅうじとういんしょうろう)
所在地奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
指定区分国宝
指定年明治33年(1900年)4月7日 重要文化財(旧法による指定)、昭和30年(1955年)2月2日 国宝
員数1棟
寸法桁行3間、梁間2間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
所有者法隆寺
公開状況東院伽藍の一画。外観のみ

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 法隆寺東院鐘楼
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2696
文化遺産オンライン — 法隆寺東院鐘楼
https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/190533

最終更新日: 2026.10.01