前後に並ぶ二棟の堂
法隆寺食堂及び細殿は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍の東方に建つ二棟の建物で、明治34年(1901年)3月27日に最初の指定を受け、昭和27年(1952年)11月22日に国宝となった。読みは「じきどうおよびほそどの」。奥の食堂は奈良時代、手前の細殿は鎌倉時代の文永5年(1268年)ごろの建物である。
食堂は桁行7間・梁間4間、細殿は桁行7間・梁間2間で、いずれも一重の切妻造、本瓦葺。一般の拝観路から奥まった場所にあるためあまり目立たないが、数少ない奈良時代建築の一つとして、その価値はほかの遺構に引けを取らない。
政屋から食堂へ、双堂の伝統
食堂とは、法会の際に儀式の一部として多くの僧が会食する場である。寺の資財帳には、いまの大講堂とほぼ同じ規模の食堂が記されている。現在の食堂は、資財帳にある政屋(寺の事務所)の一棟を平安時代の初めごろに改めて転用したものとみられる。
鎌倉時代の中ごろまでは、前に建つ細殿と内部を一続きにした双堂として使われていた。その後、細殿が現在の建物に建て替えられ、戸口や窓もいまの形に改められた。法隆寺食堂及び細殿は、今ではあまり見られない双堂の伝統を伝える遺構として、きわめて貴重である。
天平様式の骨格
時期の異なる部材が混じるものの、食堂の骨格は当初のままとみてよい。伸びやかな肘木の曲線、円形断面の桁と棟木、内部の単純な扠首組、妻側の二重虹梁の架構などに天平様式の特色がよく表れている。
昭和9年(1934年)の解体修理の調査では、中央から妻側に向かって柱の長さや大斗の高さを少しずつ増し、棟と軒に反りをつけるための下工作をしていたことが分かった。直線的に見える屋根に、奈良時代の大工が仕込んだ工夫である。
観光庁の多言語解説によれば、現在は毎年4月8日にこの食堂で、釈迦の誕生を祝う仏生会が営まれる。
見学のしかた
法隆寺食堂及び細殿は西院伽藍の東、綱封蔵の北東にあたる一画に建ち、内部は通常公開されていない。手前の細殿と奥の食堂の二つの切妻屋根が前後に並ぶ様子を、妻側から見ると双堂の構成がつかみやすい。
拝観時間・拝観料・交通は法隆寺のページにまとめてある。
Q&A
- 法隆寺食堂及び細殿とはどんな建物ですか?
- 奥の食堂と手前の細殿の二棟からなり、かつては内部を一続きにした双堂として使われていました。
- 法隆寺食堂はいつ建てられましたか?
- 奈良時代の建物で、寺の政屋を平安時代初めごろに食堂へ転用したとみられます。細殿は文永5年(1268年)ごろの建物です。
- 「食堂」は何と読みますか?
- 「じきどう」と読みます。法会の際に多くの僧が会食した場です。
- 法隆寺食堂及び細殿の中は見られますか?
- 通常は公開されていません。外観を境内から見学できます。
- 法隆寺食堂及び細殿はいつ国宝になりましたか?
- 明治34年(1901年)3月27日に最初の指定を受け、昭和27年(1952年)11月22日に国宝となりました。
基本データ
| 名称 | 法隆寺食堂及び細殿(ほうりゅうじじきどうおよびほそどの) |
|---|---|
| 所在地 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 |
| 指定区分 | 国宝 |
| 指定年 | 明治34年(1901年)3月27日 重要文化財(旧法による指定)、昭和27年(1952年)11月22日 国宝 |
| 員数 | 2棟(食堂・細殿) |
| 寸法 | 食堂:桁行7間、梁間4間、細殿:桁行7間、梁間2間、いずれも一重、切妻造、本瓦葺 |
| 所有者 | 法隆寺 |
| 公開状況 | 外観のみ(内部は通常非公開) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 法隆寺食堂及び細殿 食堂
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2702
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 法隆寺食堂及び細殿 細殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2703
- 文化遺産オンライン — 法隆寺食堂及び細殿 食堂
- https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/201629
- 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース — 食堂
- https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-00194.html
最終更新日: 2026.10.01
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