江戸
Edo江戸時代(1603 – 1868)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
兒山家住宅門長屋は堺市の豪農の屋敷の正面に建つ江戸後期の長屋門形式の建物で、2002年に登録有形文化財となった。入母屋造本瓦葺、正面を黒漆喰、他を白漆喰とし、横連子窓を並べる。屋敷の正面構えの中心となる建物である。
天野山金剛寺の天野川東岸に続く江戸時代中期の築地塀。石垣の上に漆喰仕上げの土壁を立てて桟瓦を葺き、総延長は103メートル。東岸にあった旧子院群を画した塀で、近世の境内の様子を伝える。区間ごとに傷みと修理の記録がある。
天野山金剛寺本坊の庭園に面して建つ江戸中期の建物で、もとは子院・中院の庫裏。東向きで広縁を廻らせ、8畳間を3室連ねた2列の平面に筬欄間を入れる。改修の年は文化庁と寺の保存活用計画で記録が異なっている。
天野山金剛寺本坊の回遊式庭園の一端をなす江戸中期の仏堂で、もとは子院・中院の持仏堂。3間四方で東を向き、背面に仏壇を張り出す。宝形造銅板葺の屋根を面取角柱と舟肘木で支える、近世子院の持仏堂の好例である。
和泉市の西教寺で本堂の左手に接続する安政6年(1859年)の玄関と書院。正面の式台に筬欄間を立て、虹梁の絵様や蟇股を波と雲の文様に彫り、格天井を張る。六畳の玄関から四畳を介し、八畳・六畳の書院へ続く。
和泉市の西教寺で本堂南東側の前庭に建つ文化13年(1816年)頃の手水屋。面積4.6平方メートルの切妻造本瓦葺の吹放しで、角柱4本を内転びに建て、舟肘木や間斗束、棟の蟇股まで丁寧に仕上げる。本堂に次ぐ古さ。
和泉市の西教寺に建つ文化5年(1808年)上棟の浄土真宗本堂。間口15メートルで、左右に長い外陣と上段の内陣・余間をもち、内陣まわりを彫刻と極彩色、金箔で飾る。平成26年(2014年)に国の登録有形文化財となった。
大阪府八尾市の慈願寺太鼓楼は江戸末期の登録有形文化財。平屋の北寄りに入母屋造の二階を載せ、各面の中央に花頭窓を開く。境内東の入口、表門北側の築地塀沿いに立ち、寺内町の街路景観を印づける。
大阪府八尾市の慈願寺手水屋は面積約12平方メートルの登録有形文化財。虹梁や木鼻の絵様から寛文年間のものと考えられ、境内5棟の登録建造物のなかで最も古い、丁寧なつくりの小建築である。
大阪府八尾市の慈願寺本堂は文化14年(1817年)建立の登録有形文化財。桁行約19m、面積561平方メートルの真宗本堂で、1606年に八尾寺内町を開いた慈願寺の中心に東面して建つ大堂である。
大阪府河内長野市清水の地蔵寺本堂は、享保6年(1721年)建立の真言宗仏堂。宝形造桟瓦葺で元は茅葺、内部は円柱を立てた中央間を折上格天井とし、須弥壇前に天女の板絵を吊す。令和5年に登録有形文化財となった。
四天王寺阿弥陀堂は寺域南西部に北面して建つ延宝2年建築の仏堂である。寄棟造の妻入という珍しい形式をとり、三重県にあった末寺の国束寺の本堂を昭和28年にここへ移築した。令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺聖霊院唐門は、寺域南東部で太子殿の前に南面して建つ文化5年建築の四脚門である。徳川家康を合祀した用明殿の正門として建てられ、本坊の御成門を経て現在地へ移された小門で、令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺納骨堂は阿弥陀堂の西隣に北面して建つ方三間の小さな仏堂である。宝形造の桟瓦葺で建築面積は29平方メートル、三重県にあった末寺の国束寺の聖天堂を移したものである。令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺本坊唐門は寺域北東部の本坊の南西に建つ江戸後期の向唐門である。徳川歴代将軍の霊牌を祀る五智光院の正門として建てられ、雲竜の彫刻や三つ葉葵紋の透彫りで格式高く飾る。令和4年に登録有形文化財となった。
心光寺山門は大阪市天王寺区下寺町の松屋町筋に西面して建つ江戸時代中期の一間薬医門で、登録有形文化財。切妻造・本瓦葺の門で、男梁の鼻先や虹梁の絵様など細部の意匠が秀逸とされ、寺町の歴史的な景観をつくる。
住吉大社角鳥居は反橋を渡った先、本宮域の幸寿門の前に立つ江戸前期の石造鳥居。大面取の角柱に反りのある島木・笠木を載せた明神鳥居で、間口4.0m・高さ4.1mの低く重厚な姿が境内の他の鳥居と一線を画す。
住吉大社北大鳥居は北からの参道入口に立つ江戸前期の石造明神鳥居で、明治前期に現在地へ移築された。間口5.7m・高さ6.5m、東・南の大鳥居と同規模で、西大鳥居を含む4基で広い境内の四方を結界する北面の要である。
住吉大社北瑞籬門は本宮域の背面北端、最も奥の第一本宮の脇に建つ江戸後期の四脚門で、昭和38年に移築。南瑞籬門と寸分違わぬ左右一対として本殿群の背後を固め、銅板葺の切妻屋根が檜皮葺の本殿と対照をなしている。
住吉大社幸福門は本宮域の正面脇に建つ江戸前期の四脚門で、昭和45年に幸寿門とともに移築。同じ規模・形式ながら組物を大斗肘木とし門扉上を蓑束だけにした抑えた意匠で、主門である幸寿門との格の違いを細部で見せる。