福井県・明治
Meiji福井県 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
福井県坂井市の三国港突堤は、九頭竜川河口に延びる延長511mの石造突堤。オランダ人技師エッセルが設計し、デ・レイケが施工、粗朶沈床を日本で初めて用いた。明治15年竣工、平成15年に重要文化財に指定された。
石田家主屋の東に接する蔵座敷。明治後期の土蔵造二階建で、明治初期の酒蔵の古材を転用して建てる。一階は十二畳の座敷、二階は物入とし、東面に土縁を巡らす。福井市川尻町。個人住居のため外観のみ。
石田家の敷地南正面に建つ長屋門。明治前期の木造平屋建、入母屋造桟瓦葺で、中央三間を門とし西に潜戸を開く。福井城下の武家屋敷を移築したと伝わる一棟で、武家建築の遺存例の可能性がある。個人住居のため外観のみ。
石田家の敷地西辺に建つ前蔵。明治前期の土蔵造二階建で、切妻造桟瓦葺の棟に福井特産の笏谷石を載せる。東面には瓦葺の庇を張り出して蔵前とする。福井市川尻町の登録有形文化財。個人住居のため外観のみ。
福井県越前市京町に佇む国登録有形文化財「井上歯科医院」。1903年の武生大火の後、1908年(明治41年)に建てられた木造二階建ての擬洋風建築で、伝統的な土蔵造りの堅牢な本体に、左官の名工・石動芳次郎によるトスカナ式柱型や櫛型ペジメントなど洋風意匠をまとう珠玉の一棟。総社大神宮や蔵の辻にもほど近く、旧武生の町並み散策の核となる明治の建築です。
明治元年(1868)創建の岩野平三郎製紙所主屋。柱を見せる真壁造に下見板を張る格式ある構えで、雲肌麻紙を横山大観らへ送り出した日本最大級の手漉き和紙工房の沿道景観を形づくる登録有形文化財である。
福井県坂井市三国町、北前船で栄えた花街の出村に残る料理茶屋。明治初期の主屋と二棟の土蔵、大正期の奥座敷の四棟が渡り廊下でつながり、いずれも国の登録有形文化財。厚い土壁の蔵を改めた座敷で、三国港の甘海老が味わえる。
福井県坂井市三国町、北前船で栄えた花街の出村に残る料理茶屋。明治初期の主屋と二棟の土蔵、大正期の奥座敷の四棟が渡り廊下でつながり、いずれも国の登録有形文化財。厚い土壁の蔵を改めた座敷で、三国港の甘海老が味わえる。
福井県坂井市三国町、北前船で栄えた花街の出村に残る料理茶屋。明治初期の主屋と二棟の土蔵、大正期の奥座敷の四棟が渡り廊下でつながり、いずれも国の登録有形文化財。厚い土壁の蔵を改めた座敷で、三国港の甘海老が味わえる。
福井県敦賀市に残る旧大和田銀行本店社屋は、明治34年(1901年)に建てられた木造二階建ての和洋折衷建築です。大和田銀行の創業地に建つこの国登録有形文化財は、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成文化財でもあり、現在はみなとつるが山車会館の別館として北前船や敦賀の歴史を紹介しています。
明治27年(1894年)築、旧北陸線トンネル群の起点をなす一基。江戸切り仕上げの安山岩による左右対称の切石坑門と、石と煉瓦を使い分けた覆工に、明治の石工技術がよく表れている。罠山谷暗渠の北約400メートルに位置する。
敦賀市大比田、延長310メートルの第二観音寺トンネル。第一観音寺トンネルとほぼ同じ構造をもちながら、覆工アーチの起拱部に鉄道時代の配線用金具を残し、長く湾曲する暗い煉瓦の坑内に、失われた鉄道の記憶を今なお宿している。
延長約979メートル、明治29年(1896年)竣工の葉原トンネル。旧北陸線でも屈指の長大隧道で、左右へ長く張り出すパラペットと、切石と煉瓦で精緻に築いた排水路が、明治の鉄道石工の到達点を示している。
敦賀市阿曽、延長わずか64メートルの鮒ヶ谷トンネル。北坑門の頂部を背後の斜面に合わせて傾斜させ、切石の側壁に煉瓦の長手積アーチを架ける。路線最短級ながら細部の行き届いた一基で、標準の設計を間近に読める。
敦賀市大比田、延長260メートルの曲谷トンネル。越前と若狭を隔てる難所・木ノ芽峠の山裾に連続して築かれた隧道の一つで、標準の設計を尾根ごとに繰り返した、明治の峠越えの連なりを構成する一基である。
延長1170メートル、旧北陸線最長の煉瓦造・山中トンネル。旧線の峠越えの頂に位置し、我が国有数の規模を誇る隧道として難工事の末に竣工した。かつて坑口には、明治の逓信大臣・黒田清隆による扁額が掲げられていた。
今庄宿にほど近い旧北陸線北の玄関口。延長368メートルの煉瓦造・湯尾トンネルは、四本の壁柱と左右へ長く張り出すパラペットをもつ安山岩の堂々たる坑門で、峠を越えてきた旅人を迎える北端の一基である。
敦賀市横浜、旧線路面の約20メートル下方に穿たれた罠山谷暗渠。旧北陸線で最長規模の暗渠で、急勾配の谷水を切石と煉瓦の管路、そして底の石造縦溝で導いた、明治の土木技術をよく伝えている。
通りから四段の石段を上った先に建つ三間一戸棟門。桟瓦葺の切妻屋根に漆喰の袖塀を延ばし、延長は約5.1メートル。歌人山川登美子が育った家の敷居にあたり、記念館は令和8年4月から臨時休館中。
小浜藩重臣から銀行頭取へ歩んだ一族。明治40年再建の主屋は武家屋敷の間取りを継ぎ、入母屋造の式台が格式を示す。歌人山川登美子が育った家で、記念館は令和8年4月から駆除・修繕のため臨時休館中。