全国の史跡名勝天然記念物
全国の史跡名勝天然記念物を一覧で検索できます。都道府県、時代、カテゴリーで絞り込み、詳しい解説を読み、地図や旅行のヒントで訪問計画を立てましょう。
愛知県新城市の阿寺川にかかる七段の滝で、合計落差62メートル。礫岩の断層崖にかかることと深い甌穴があることが学術上重要とされ、昭和9年(1934年)に国の名勝および天然記念物に指定された。日本の滝百選の一つ。
愛媛県鬼北町の山中にある天台律宗寺院の跡で、谷を造成した約20箇所の平坦面が4つの地区に分かれて残る。本坊の石積みは高さ6メートル、長さ25メートルある。平成20年(2008年)に国の史跡に指定された。
岡山県瀬戸内市にある弥生時代前期から鎌倉時代までの集落遺跡で、中心は最初期の貝塚である。「門田式」土器の名はこの遺跡に由来する。昭和60年(1985年)に国の史跡に指定され、現在は史跡公園となっている。
岩手県一戸町の馬淵川とその支流の河床に露出する珪化木の分布域である。樹種は現在の森とほぼ同じで、当時の群落を伝えている。昭和16年(1941年)に国の天然記念物に指定された。採取は禁じられている場所。
宮城県栗原市にある古墳時代前期後半の大規模な集落遺跡である。幅2から4メートルの大溝と材木塀に囲まれ、焼けた竪穴建物から銅鏡などが多数出土した。平成29年に国の史跡となったが、現在は見学できない遺跡。
宮城県大崎市岩出山にある江戸時代の学問所と庭園である。文化庁は江戸時代の学問所として遺存する最古の建物とする。昭和8年(1933年)に国の史跡および名勝に指定された。主屋は震災で倒壊し、復旧している。
宮城県大崎市にある奈良時代の瓦窯跡で、多賀城の創建期の瓦を供給した窯である。長く未調査だったが、令和3年度からの発掘調査で瓦窯6基と木炭窯1基が確認された。昭和51年(1976年)に国の史跡となった。
京都府宮津市の宮津湾内にある砂嘴で、大正11年(1922年)に名勝、昭和27年(1952年)に特別名勝となった。指定基準は植生・地形・展望地点の三つが挙がり、眺めるための場所も範囲に含まれている点が特徴。
京都市北区の大徳寺町にある方丈南面の約50坪の平庭で、生垣で背景を区切り、石組を東から西に二群に分けて中央に石の橋を架けている。石はすべて小ぶりである。昭和33年(1958年)に国の名勝に指定された。
京都市北区の大徳寺町にある庭園で、書院枯山水の四周の地域と方丈の庭園からなる。方丈の庭はかぎ型の地域に二段の刈込生垣をめぐらしただけの簡素な景観である。昭和30年(1955年)に国の名勝に指定された。
熊本県下益城郡城南町にある縄文時代の貝塚で、阿高と黒橋の二つの地点からなる。黒橋地点のほうは、豪雨で氾濫した川がえぐった水田面から見つかっている。昭和55年(1980年)に史跡へ指定された貝塚である。
熊本県葦北郡芦北町にある城跡で、一国一城令によって廃城となった23年後に、破城が不十分であるとして石垣が改めて撤去されている。壊された跡も評価に含まれる。平成20年(2008年)に史跡へと指定された。
熊本県阿蘇郡南小国町にある天然記念物で、河床の石に着生する淡水紅藻の発生地である。指定の対象は生物そのものではなく場所であり、その名は最初の発見地である愛媛県の地名に由来する。昭和34年に指定された。
熊本県合志市にある縄文時代の遺跡で、石材や剥片は多いのに完成品は少ない。作られた石斧は約60か所の遺跡へ運ばれている。昭和47年(1972年)に史跡へ指定された遺跡である。無いものが性格を決めている。
広島県府中市にある古代の備後国の国府の跡である。8世紀から12世紀にかけての成立から衰退までの変遷が追える貴重な遺跡になっている。平成28年(2016年)に国の指定を受けた1件の古い国府の遺跡である。
埼玉県さいたま市岩槻区城南の縄文時代後期から晩期の集落遺跡。径約150メートルの環状貝塚と、綾瀬川の小支谷へ下る低湿地に広がる泥炭層遺跡からなる。昭和50年(1975年)7月19日指定の国指定史跡である。
三重県伊賀市上野丸之内にある江戸時代の藩校の遺構。文政4年(1821年)に伊勢津藩10代藩主藤堂高兌が藩校有造館の支校として建て、昭和5年(1930年)11月19日に国の史跡に指定された。現在は一般公開。
山形県米沢市矢来にある縄文時代前期の集落遺跡である。全長43.5メートルの大型竪穴住居があり、8棟が30センチの間隔で弧状に並ぶ。出土は石器の未成品と剥片が大半を占める。平成9年(1997年)に史跡に指定された。
山形県鶴岡市羽黒町玉川にある玉川寺の蓬莱型庭園である。1455年に禅師が作庭し、1648年に羽黒別当が修築、江戸後期に完成した。五つの池を三つの中島でつなぐ。昭和62年(1987年)に名勝の指定を受けた。
山形県東置賜郡高畠町時沢にある縄文時代の洞窟の遺跡である。上洞と下洞とがあり、遺物の多くは下洞のほうから出土している。昭和58年(1983年)に国の指定を受けた1件の古く大きな洞窟の遺跡にあたるもの。