鎌倉
Kamakura鎌倉時代(1185 – 1333)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
京都国立博物館が蔵する国宝の太刀〈銘則国〉。粟田口派の名工・則国の在銘作はきわめて少なく、本品はその数少ない一口である。鎌倉時代の作で、磨上げを経てなお姿よく、細直刃と精美な地鉄に京都の刀の品格がうかがえる。
京都国立博物館が所蔵する国宝「日本書紀神代巻(吉田本)」。鎌倉時代の学者・卜部兼方が一行十四字に自筆で書写し、朱の訓点や紙背の裏書を加えた、神代巻の完存する現存最古本です。この裏書は最古の注釈書『釈日本紀』の基礎となりました。
京都国立博物館に伝わる国宝『明恵上人歌集〈高信筆〉』は、鎌倉時代の高僧・明恵上人(1173〜1232)の和歌155首を、弟子の順性房高信が師の十七回忌にあたる宝治2年(1248)に書写した巻子本です。現存する明恵唯一の歌集として、その人となりと華厳・密教の精神世界を今に伝えます。昭和27年(1952)に国宝に指定され、書跡・典籍の重要資料として高く評価されるこの巻物の魅力と、あわせて訪ねたい東山の名刹や世界遺産・高山寺までを丁寧にご紹介します。
京都国立博物館が所蔵する国宝「病草紙」は、十二世紀の病や身体の異変を率直に描いた絵巻の断簡。病者だけでなく、それを笑い、見つめ、目をそらす周囲の人々のまなざしまでとらえ、六道のうち人道を描いた作品として知られる。
京都国立博物館の国宝「餓鬼草紙」は、生者に見えぬ餓鬼の受苦と救済を詞書を伴う七段に描いた十二世紀後半の絵巻。後白河院ゆかりの蓮華王院宝蔵に納められた六道絵の一つとされ、淡彩と柔らかな線が群衆と亡者を活写する。
国宝「目無経」こと白描絵料紙墨書金光明経巻第三。中断した物語絵巻の白描下絵を転用し、後白河法皇の崩御直後の建久三年(1192)に金光明経を書写した京都国立博物館の一巻です。絵巻の制作工程をうかがわせる稀少な国宝を紹介します。
中国・南宋時代の青磁下蕪花生。丸くふくらむ胴に細い頸が立つ国宝で、貫入のない淡い青の釉がむらなく掛かる。官窯か龍泉窯か、焼かれた窯は今も未確定。東京国立博物館に寄託され、群馬の原美術館ARCでも折にふれ公開される。
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館が所蔵する国宝「後宇多院宸記」。出家後もふたたび院政をしいた後宇多院が、文保三年(一三一九年)の具注暦の余白に自筆で書き残した一巻の日記で、鎌倉後期の宮廷を内側から知る貴重な古記録です。
千葉・国立歴史民俗博物館が所蔵する国宝。倭人記事で知られる『漢書』地理志を含む南宋慶元年間の刊本で、全61冊が完存する。直江兼続を経て米沢藩校興譲館に伝わった「上杉本」で、五山僧の書き入れも残る貴重な一具である。
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館が所蔵する宋版後漢書(慶元刊本)。南宋慶元年間に建安で刷られた全六十冊の刊本で、史記・漢書とともに三史をなす。東夷伝には倭の使者や女王卑弥呼の記述が残り、直江兼続を経て米沢藩興譲館に伝来した上杉本である。
千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館が所蔵する国宝。南宋の建安で黄善夫が刊行した『史記』で、集解・索隠・正義の三注を合わせた版としては現存最古の完本。全百三十巻が欠けることなく残る。五山僧の書き入れや直江兼続旧蔵の来歴も伝わる。
東京国立博物館が所蔵する国宝『栄花物語』は、藤原道長の栄華を中心に平安宮廷の約二百年を描いた歴史物語の現存最古の写本です。鎌倉時代に書写された大型本十帖と枡型本七帖からなり、三条西家伝来の由緒と『実隆公記』に記された購入記録により、五百年以上の所蔵履歴をたどることができます。
東京国立博物館が所蔵する秋萩帖の裏面に書写された唐の典籍。前漢の思想書『淮南子』の兵略篇を端正な楷書で写したもので、表の和歌より古く、平安の書き手が唐紙の裏を用いた。昭和32年に表裏が別々に国宝指定された珍しい一巻である。
東京国立博物館が所蔵する国宝、圜悟克勤の印可状。現存最古の墨蹟として書跡の国宝第一号に挙げられ、薩摩へ漂着したとの伝承から流れ圜悟と呼ばれる。原本は伊達政宗の所望で断たれ、その前半が松平家を経て今に伝わる。
東京・御岳山頂の武蔵御嶽神社が受け継ぐ国宝。鎌倉時代の騎馬武者の馬具一式で、鞍・鐙・轡・鞦が揃う。前輪と後輪の外面を金銅で覆い、内面と座面には夜光貝の蛇の目文を敷き詰めた、軍陣馬具として国内唯一の完存例。
東京国立博物館が所蔵する唐時代の写本。初唐の詩人・王勃の文集を没後十年ほどで書写した現存最古の本で、則天文字を含まない点から685〜689年頃の筆とみられる。紙背には平安末期の戒律が残り、流布本に欠けた原文を補う。
東京国立博物館が所蔵する白銅製の大鏡二面。法隆寺資財帳によれば、光明皇后が天平八年(七三六年)、聖徳太子の忌日に法隆寺へ納めたものとされる。鏡背には神仙の住む山海の景が鋳出され、唐時代の作か日本の倣製鏡かをめぐり議論が続く。
茎に作者銘を持たない正宗の刀。慶長十四年に磨上げられ、本阿弥光徳が金象嵌で正宗と極めた一刀である。所有者の城和泉守景茂を経て弘前藩津軽家へ伝来した。板目肌に地沸厚く、金筋のかかる刃文に相州伝の妙が宿る、現存する正宗の代表作。
鎌倉時代の備前長船光忠による豪壮な国宝刀。磨上げで無銘となった刀身に本阿弥光徳が金象嵌で極めを記す。讃岐の大名生駒親正の所持名から生駒光忠と号し、細川護立が入手して東京・目白台の永青文庫に伝わる華やかな大丁子の一口。
東京国立博物館が所蔵する国宝の日本刀。正宗の子とも養子とも伝わる相州貞宗の作で、大磨上の後に茎へ刻まれた亀甲花文が号の由来となった。刃長70.9センチ、徳川将軍家に伝来し享保名物帳にも記される名刀の歴史と見どころを紹介する。