奈良県・江戸
Edo奈良県 の江戸時代(1603 – 1868)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
奈良県橿原市に佇む久米寺多宝塔は、京都仁和寺から移築された重要文化財。江戸時代初期の禅宗様建築と空飛ぶ仙人・久米仙人伝説が織りなす、知られざる古都の名建築をご紹介します。
奈良県葛城市、中将姫ゆかりの當麻寺門前に建つ登録有形文化財「玉や主屋」。江戸末期から170年以上の歴史を持つ旅籠建築の魅力と、美しい鏝絵装飾、現在営業中の釜めし店情報をご紹介します。
古代豪族葛城氏が信奉した豊受大神を祀る、國登録有形文化財の中之坊稲荷社。檜皮葺の精緻な屋根と華麗な装飾が織りなす、小さいながらも芸術性溢れる江戸時代の社殿の魅力をご紹介します。
宝暦元年、彭城百川が多武峰の旧慈門院の四室に描いた紙本淡彩の山水四十一面。墨の濃淡と強い陰影で奥行きを立てた、画家晩年の基準作である。初期南画の一方向を示す作として、現在は奈良国立博物館に寄託。もとの座敷は非公開。
尾形乾山作の重要文化財。半筒形の茶碗の一方に滝の景と樹木・楼閣を、他方に滝を詠んだ賛を、いずれも乾山自身の太い筆で銹絵で描く。画と詩がひとつに溶けあった代表作で、京都の福井家に伝来し、現在は個人が所蔵する。
奈良県の個人宅に伝わる重要文化財「紙本著色天台岳中石橋図〈襖貼付六〉」は、江戸中期の南画家・彭城百川(1697–1752)が宝暦元年(1751)に制作した最晩年の傑作です。中国・天台山の天然石橋と五百羅漢伝説を描き、襖六面に展開する大画面の彩色画は、廃絶した塔頭・慈門院に伝来した全41面の障壁画群「旧慈門院障壁画」の一画をなします。日本南画黎明期の最重要作例として、日本人画家が中国南宗画と建築空間をいかに融合させたかを示します。
南宋の宮廷画家・李迪が描いた国宝「帰牧図(騎牛)」。雪道を行く牛と牧童を色紙ほどの絹に精緻に表した双幅の名品で、奈良市の大和文華館が所蔵する。両幅に潜む隠し落款や、東山御物と伝わる伝来の歴史も見どころ。
国宝「紙本金地著色風俗図」、通称松浦屏風は、金地に等身大の遊女18人を描いた江戸前期の屏風一双。22領の小袖やカルタ、ロザリオの描写、平戸松浦家伝来の経緯、奈良・大和文華館での鑑賞のポイントを紹介する。
奈良県明日香村の岡寺に建つ書院は、安土桃山時代末期から江戸時代初期に建てられた国指定重要文化財です。主室に床・棚・書院を備えた本格的な書院造と台所機能を一棟に共存させた珍しい構成を持ち、桃山時代の建築文化を今に伝える貴重な遺構として高く評価されています。
奈良市月ヶ瀬桃香野の街道脇に建つ菊家家住宅は、十七世紀末から十八世紀はじめの建築と推定される茅葺の民家。桁行10.5メートルの小さな主屋に前座敷三間取りの古式が残り、垂木から扠首へ移る小屋組をとどめる。昭和43年に重要文化財に指定された。
平城京の西に建つ真言律宗総本山・西大寺の中心堂舎。寛政10年から文化5年頃にかけて再建された大規模仏堂で、土壁を一切用いず板壁のみで構成される独特の構造から、平成10年に国の重要文化財に指定された。
奈良県十津川村、玉置山の中腹に建つ玉置神社社務所及び台所は、文化元年(1804年)建立の重要文化財。別当寺高牟婁院の主殿で、狩野派の橘保春らが描いた花鳥図の板戸と地階の参籠所をもつ。現在は解体修理中で拝観休止。
奈良県桜井市の多武峰にある談山神社。享禄5年再建の十三重塔は木造として世界で唯一現存する。藤原鎌足をまつる朱塗りの社殿が山腹に建ち並び、神仏習合の伽藍配置を今に残す。秋の紅葉と春の桜の名所としても知られる。
東大寺廻廊のうち東廻廊は、中門から折れ曲がって大仏殿の東側へ延びる本瓦葺の回廊。享保元年(1716年)から元文2年(1737年)の大仏殿再建に合わせて建てられ、参拝者を大伽藍へ導く重要文化財である。
東大寺廻廊の西廻廊は、中門から折れ曲がって大仏殿の西側へ延びる回廊。東廻廊と対をなし、享保から元文年間の再建で整えられた。指図堂や勧進所が並ぶ西側へと参拝者を導く重要文化財である。
奈良・東大寺二月堂は、天平勝宝4年(752年)から一度も途絶えることなく続く修二会(お水取り)の舞台として知られる国宝建築です。奈良盆地を一望できる舞台からの絶景、24時間無料で参拝可能な懐の深さ、そして古代から受け継がれる祈りの空間をご紹介します。
奈良県五條市西吉野町鹿場の斜面に建つ西田家住宅は、17世紀中頃の建築と考えられる中型農家。土間が南半分を占め、北側は前座敷三間取り。垂木構造など中世以来の技法を残し、昭和43年に重要文化財に指定された。
奈良盆地南部、橿原市新賀町に建つ江戸中期の大規模民家。享保十七年(一七三二)頃の主屋は大和棟の最も古い例とされ、内蔵・別座敷・表門・宅地とともに重要文化財に指定。環濠をめぐらした十市郡新賀組大庄屋の屋敷である。
享保12年(1727)に春日大社本社本殿の第四殿として造営され、延享4年(1747)に大柳生の立磐神社へ移された一間社春日造の本殿。背後の磐座をご神体とし、春日大社では難しい本殿の間近な拝観ができる重要文化財。
寛永4年(1627年)建立、法隆寺の子院・律学院の本堂。国宝・東大門の外に建ち、聖徳太子像をまつる。聖霊院に酷似した妻入入母屋造で、内陣奥に唐破風付きの檜皮葺厨子を備える。用材も優れた、昭和51年指定の重要文化財。