滋賀県・明治
Meiji滋賀県 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
滋賀県近江八幡市の繖山に佇む観音正寺地蔵堂は、1881年建立の登録有形文化財。聖徳太子ゆかりの古刹で、宝形造の美しい仏堂と人魚伝説が織りなす神秘の世界をご紹介します。
比叡山延暦寺西塔の丘に立つ高さ約11.65メートルの青銅製相輪橖。最澄が弘仁11年に創建したと伝わり、現在の塔は明治28年頃の改鋳。仏舎利ではなく写経を納め、受花の下には縦笛や琵琶を奏でる天女が鋳出されている。大正6年に重要文化財指定。
滋賀県東近江市五個荘の重要伝統的建造物群保存地区に佇む国登録記念物・松樹館庭園。幕末から明治前期に活躍した近江の作庭家・勝元鈍穴(勝元宗益)が手がけた回遊式枯山水庭園で、ハート型の猪目書院窓や築200年の近江商人邸宅とともに、2023年から春秋限定で一般公開されています。
近江神宮自動車清祓所は明治23年建築の旧大津裁判所本館車寄を昭和46年に境内へ移築したもの。建築面積26平方メートル、隅柱に控柱を2本ずつ添え、蝙蝠形懸魚に菊の紋章を掲げる。平成10年登録の登録有形文化財。
滋賀県の愛知川に架かる近江鉄道愛知川橋梁は、明治31年(1898年)に建設された全長239メートルの鋼製鉄道橋です。イギリスのハンディサイド社製ポニーワーレントラスを含む10径間の橋梁は、120年以上現役で使われ続ける登録有形文化財です。
滋賀県近江八幡市にある近江八幡ユース・ホステルは、明治42年(1909年)に蒲生郡勧業館として建てられた国の登録有形文化財です。唐破風の玄関や大階段など明治期の和風公共建築の粋を今に伝え、宿泊施設として実際に泊まることができます。
滋賀県高島市の山間集落・椋川に佇む登録有形文化財「おっきん椋川交流館(旧栗田家住宅主屋)」。明治時代の茅葺農家の魅力、囲炉裏のあるダイドコや座敷の見どころ、周辺観光情報をご紹介します。
滋賀県多賀町に佇む「かぎ楼」は、元禄2年(1689年)創業の老舗料理旅館です。明治10年築・大正期増築の木造三階建ては数寄屋風の意匠が美しく、国の登録有形文化財として多賀大社門前町のランドマークとなっています。
本堂後方に南面する瓦屋寺庫裏は、明治4年(1871)の建立で境内最大の建物。中央に向唐破風の式台玄関を構え、腰海鼠壁を施す。奥座敷の良質な意匠と土間上部の壮大な梁組が見どころとなる。
旧田中家住宅で最も古い明治25年建立の土蔵造2階建。西面出入口の扉枠に植物紋の渦や田源の家紋を漆喰で象り、東妻では丸窓上に唐破風状の庇を付ける。技巧的な左官仕事で知られ、現在は料亭近江商人亭の一棟。
滋賀県長浜市に建つ黒壁ガラス館本館は、明治33年(1900年)に第百三十国立銀行長浜支店として建てられた国登録有形文化財です。黒漆喰塗りの外壁から「黒壁銀行」と呼ばれ親しまれてきた和洋折衷の木造建築は、1989年にガラスギャラリーとして再生。年間約200万人が訪れる黒壁スクエアの象徴として、歴史とガラスアートの魅力を伝えています。
旧藤井家住宅に残る建築面積21㎡の小さな二階建て土蔵。切石積の基礎に置屋根を架け、漆喰壁の腰下に和船の舟板を横張りする珍しい意匠をもつ。主屋とともに昭和9年頃、現在地へ移された一棟である。
滋賀・東近江の五個荘。明治初期の主屋を昭和7年に現在地へ移築し、差鴨居で固めた四間取りに座敷2室を加えた。質素な造作に家具調度がそのまま残り、倹約を旨とした近江商人の暮らしを間近に見られる。
西教寺観瀾亭は、客殿と新書院の間の背後に建つ明治後期の数寄屋風座敷です。朱の砂壁に面皮長押を用い、波をあしらった板欄間が名にちなむ意匠を添える、瀟洒な、比叡山東麓・坂本の登録有形文化財です。
西教寺宗祖大師殿は、天台真盛宗の宗祖・真盛上人を祀る明治27年建立の堂です。軒唐破風や小組格天井など格式ある住宅建築の手法を用い、参道正面に構える、比叡山東麓・坂本の登録有形文化財です。
滋賀県東近江市の小脇町、八風街道沿いに堂々と立つ太郎坊宮阿賀神社一の鳥居は、明治27年(1894年)に建立された石造の明神鳥居です。間口5.4メートルの大鳥居は、北へ延びる参道の彼方に霊峰・赤神山を望む景観の起点として、約1400年の歴史を誇る太郎坊宮への参拝の出発点を象徴。令和元年(2019年)に国の登録有形文化財に指定され、明治期の信仰と石工技術を今に伝える貴重な建造物として親しまれています。
明治中期に建てられた神楽殿は、神に奉じる舞楽・神楽のための建物。銅板葺の木造平屋建で約21平方メートル。長い動乱を経た山上社域の再興を映す建築として、令和元年に登録有形文化財となった。
約2.9平方メートルの授与所は、太郎坊宮阿賀神社で最も小さな登録建造物。明治中期の建立で、勝運の神への信仰を受けたお守りや神札を授ける。銅板葺の木造平屋建として、令和元年に登録有形文化財となった。
明治44年(1911年)建立の手水舎は、参拝前に手と口をすすいで身を清める場。銅板葺の開放的な木造で約5.0平方メートル。俗から聖への節目を担う建物として、令和元年に登録有形文化財となった。
明治13年(1880年)に懸造で建てられた舞台は、赤神山の斜面から高さ約13メートルせり出す高床の空間。昭和23年に床のみコンクリートで改修。眼下に湖東平野が開け、令和元年に登録有形文化財となった。