東京都・明治
Meiji東京都 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
東京都青梅市の旧吉川英治邸(草思堂)主屋は、明治中期の養蚕民家を作家・吉川英治が昭和23年頃に自ら設計改修した住まい。三つの煙出しを残し、庭に開く続き間の座敷で『新・平家物語』が書かれたと伝わる。2023年登録の国登録有形文化財。
東京都青梅市の旧吉川英治邸(草思堂)洋館は、作家・吉川英治が書斎とした明治後期の離れ。寄棟桟瓦葺に軒のブラケットをめぐらし、瀬戸本業タイルのテラスや大谷石の基礎など各地の資材を集めて造られた。2023年登録の国登録有形文化財。
東京都台東区池之端の教證寺客殿は、明治36年(1903年)建立の木造二階建。桁行14メートル梁間5.5メートル、外壁は下見板張、妻飾は木連格子。東面の廊下は不忍池への眺望を意識する。平成22年に国の登録有形文化財となった。
国際基督教大学泰山荘高風居は、松浦武四郎が全国の社寺の古材で組んだ書斎「一畳敷」を抱く茅葺の茶室。紀州徳川家の徳川頼倫が大正14年に建て、昭和11年頃に三鷹へ移築された。来歴と見どころ、見学条件を解説する。
東京都西東京市、青梅街道の旧宿場町に残る下田家住宅文庫蔵。田無村の世襲名主をつとめた下田家の屋敷に伝わる明治前期の土蔵で、石造風モルタル洗出しの外壁や二階の荷揚げ口を備え、2019年に登録有形文化財となった。
白百合女子大学めぐみ荘(旧菊池家住宅主屋)は東京都調布市緑ケ丘の大学構内にある明治時代前期の民家で、登録有形文化財。伊豆修善寺の名主の家の主屋を移築したもので、越屋根をあげ、土間と広間の境に太い大黒柱を立てる。もとの地でも希少な大型民家。
西東京市下保谷の髙橋家住宅にある明治8年(1875年)頃建築の衣装蔵。桁行3間・梁間3間の正方形の土蔵造2階建で、置屋根を載せる。昭和の改修で腰を人造石の洗い出しとし、東南面の観音扉は黒漆喰で仕上げる。
西東京市下保谷の髙橋家住宅の正面に構える明治期の一間薬医門。切妻造銅板葺の屋根に両開きの板扉、左右に袖塀を付け、間口は2.7メートルと広い。木太い軸部が屋敷に風格を与え、平成30年に登録有形文化財となった。
西東京市下保谷の髙橋家住宅にある明治8年(1875年)の土蔵。桁行4間・梁間2間の土蔵造2階建で、切妻造の置屋根を載せる。関東大震災後に漆喰壁へ鉄板を張り、窓庇の持送りには繰形を刻む。平成30年に登録された。
手焼せんべい嵯峨の家店舗は、東京都台東区谷中の寺町の通りに東面する木造二階建。明治後期の出桁造町家を改修した看板建築で、床下に煎餅焼の窯を据える。令和5年に登録有形文化財となった、いまも営業を続ける煎餅店である。
明治36年に建てられた煉瓦造の観測台。一階は八角、二階は円形でドーム屋根をかけ、赤道儀を据えて天測を行った。現存する日本最古級のドーム観測室ともいわれる越中島キャンパスの登録有形文化財である。
明治36年に建てられた煉瓦造平屋の観測台。八角平面に八角錐の屋根をかけ、子午儀を据えて正確な時刻を測った。第一観測台と対をなし、設計は三橋四郎と推定される越中島キャンパスの登録有形文化財である。
東京水産大学雲鷹丸は、明治42年に農商務省水産講習所の練習船として建造された長さ41.2メートルの鋼製バーク型帆船。国産鋼製船舶では現存最古で、平成10年に登録有形文化財となった。品川キャンパスで外観を見学できる。
東京大学本郷正門及び門衛所は、東京都文京区本郷の東京大学本郷キャンパスの正面にある明治45年建造の正門と門衛所で、平成10年に登録有形文化財となった。伊東忠太の設計で、和洋を折衷した意匠をもつ。
東京都文京区本郷の鳳明館本館は明治30年代の木造二階建で、平成12年に登録有形文化財となった。学生下宿として建ち、各室の銘木に合わせて室名を付ける。本郷の下宿街を伝える遺構で、2026年4月末より改修のため休館中。
東京都調布市上石原の真木家住宅日本館は、明治43年頃の建築で、洋館の東方に南面して建ち渡り廊下で結ばれた木造平屋建住宅。東南に書院座敷を配し、明治後期の和館洋館併存住宅の事例として平成12年に国の登録有形文化財となった。
東京都調布市上石原の真木家住宅洋館は、海軍中将真木長義が白金に構えた明治43年頃の木造2階建住宅。ハーフティンバー風の車寄と八角ベイウィンドウを備え、昭和12年に現在地へ移築、平成12年に国の登録有形文化財となった。
東久留米市柳窪の村野家住宅で穀蔵の北に建つ明治28年(1895年)の新蔵。桟瓦葺の土蔵造2階建で、東正面に蔵前、その北に茶室を付ける。正面2階の窓に掛子塗の両開扉を吊り、蔵前には茶室風の下地窓を開ける。
東久留米市柳窪の村野家住宅で主屋の西に渡り廊下で結ばれる明治後期の離れ。大正後期に移築された入母屋造の座敷棟で、トコ・棚・付書院の主座敷と東南隅の洋間をもち、付書院欄間の彫刻は島村俊表の作と市が紹介する。
東久留米市柳窪の村野家住宅の南東に構える明治14年(1881年)の一間薬医門。間口2.6メートルの総欅造で、切妻造銅板葺の屋根を笈形付大瓶束で支え、両脇に板塀と潜戸を備える。門と屋敷林は道路から見られる。