山梨県の重 要 文 化 財
Important Cultural Property of 山梨県山梨県に所在する重要文化財。
元文元年(1736年)の隨神門から宝暦3年(1753年)の惠毘壽社及び透塀まで、富士講の村上光清らの寄進で郡内大工が建てた拝殿及び幣殿・神楽殿・手水舎など8棟。地方的特色の顕著な社殿として平成29年に重要文化財。
山梨県大月市と上野原市にまたがる明治時代の水力発電施設である。構造物ごとに所有者名が二通り記されている。平成17年(2005年)に重要文化財へと指定された、19件の構造物からなる大規模な施設にあたる。
山梨県南アルプス市野牛島にある縄文時代中期の出土品である。員数の欄は「一括」で数を示しておらず、内訳の合計と市の数え方とが3点だけ違っている。平成7年(1995年)に重要文化財へ指定された一括である。
にぎりこぶしほどの鉄の丸鐔に、潮風に傾く浜辺の松と波打ち際の千鳥を彫り出した一枚。武士の身分を捨てて江戸で名を成し、奈良三作に数えられた金工・土屋安親の作で、昭和三十年に国の重要文化財に指定されている。
山梨県の個人が所蔵する重要文化財「紋散透鐔」。肥後金工の祖とされる林又七が、十花形の鉄地に桜花と九曜紋を交互に透かし、金銀の布目象嵌で飾った一枚で、主家である細川家の二つの紋を小さな鉄の画面に散らしている。
笛吹市の甲斐国一宮・浅間神社の摂社で、社伝が創祀の地と伝える神山の麓に建つ本殿。永禄元年に武田信玄が再建した桁行二間の隅木入春日造で、側面の蟇股に兜と紅葉を彫る。附の棟札4枚とともに明治40年に指定された。
甲府市宝に鎮座する穴切大神社の本殿は、一間社流造・檜皮葺の桃山時代建築で、昭和10年に重要文化財へ指定された。甲府盆地がかつて湖だったとする湖水伝説を由緒に持ち、金具を打った扉と彩色の彫刻を残している。
雲峰寺庫裏は、台所と生活を受け持った桁行19.3メートルの切妻造・妻入・茅葺の建物。四棟のうち最も間口が広く、江戸前期の建立とされる重要文化財で、本堂の右手に長く構える一棟である。
雲峰寺書院は正徳6年(1716年)建立、桁行14.6メートルの寄棟造・茅葺で、住宅として登録された江戸中期の重要文化財。四棟のうち最も新しく、通常は庭を囲む塀越しに外から見学する。
雲峰寺の仁王門は、参道の石段を登る参拝者が最初にくぐる三間一戸八脚門。入母屋造・銅板葺で室町後期の建立とされ、本堂とともに重要文化財に指定される。左右には金剛力士像を安置している。
山梨県甲州市の雲峰寺本堂は、桁行五間・梁間五間の入母屋造で檜皮葺の屋根を持ち、正面に唐破風の向拝を張り出す室町後期の重要文化財。宝物殿には風林火山の孫子の旗など武田家ゆかりの軍旗が伝わる。
甲州市塩山の恵林寺に建つ四脚門は、慶長11年に徳川家康が再興した朱塗りの門で、通称は赤門。明治40年に指定された重要文化財である。家康による再建期の姿を保つ唯一の遺構で、参道上にあり無料で通り抜けられる。
甲府・湯村山の斜面に岩盤を削って建つ塩沢寺地蔵堂は、石造地蔵菩薩坐像をまもる江戸前期の覆堂。桁行四間の小堂ながら昭和24年に重要文化財へ指定された。護摩で黒く煤けた堂内と、年に一度だけ開かれる厄除地蔵尊大祭が訪ねる人を迎える。
山梨県小菅村に建つ重要文化財の観音堂。鎌倉後期の建立で、平安時代の住宅建築の手法をひく県内でも希少な仏堂です。廃寺となった長谷寺の一堂が地元に守られて残り、秘仏の如意輪観音と室町期の厨子を祀る、横より縦に長い独特の堂です。
永禄4年(1561年)に武田信玄が本社の本殿として再興し、文禄3年に東宮へ移された一間社流造の社殿。構造は室町の特色を残し、彩色や彫刻は桃山以降の修理による。明治40年の指定で、境内でもっとも古い建物。
文禄3年(1594年)に浅野氏重が本社の本殿として建て、元和元年の現本殿造営で西宮となった一間社流造の社殿。古材をよく残し、扉下の彫刻と蟇股が立派だと文化庁は評価している。昭和28年に重要文化財に指定。
元和元年(1615年)に谷村藩主の鳥居成次が建てた一間社入母屋造・向拝唐破風造の本殿。漆塗りに彫刻と鍍金金具を用いた意匠は近畿の桃山建築に見劣りしないと文化庁は評価する。昭和28年に重要文化財に指定。
窪八幡神社神門は永正8年(1511年)建立とされる切妻造・檜皮葺の四脚門。境内の正面入口に東向きに建ち、門前の水路に架かる石橋も附として指定される。建立年の異説と構造の見どころ、見学の仕方を解説する。
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿は天文5年(1536年)建立の入母屋造・檜皮葺の拝殿。本社拝殿より約20年早く、装飾の少ない簡素な外観をもつ。『大井俣神社本紀』と『王代記』が建立年で一致する点や見どころを解説。
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿は仁徳天皇をまつる三間社流造の本殿。本紀は応永7年(1400年)建立と記し、様式からは15世紀後半とされる。境内最古の社殿とされ、円柱の仕上げや破風の反りに古い形式を残す。