国宝
National Treasures都道府県、時代、種類別に日本の国宝を閲覧できます。寺院、神社、城、美術館での見どころを分かりやすく解説し、地図や旅行のヒントもご紹介します。
京都市伏見区の法界寺にある鎌倉時代前期の仏堂で、桁行5間、梁間5間、裳階付の方形平面である。内陣は方1間で、柱や天井や小壁にも天人ほかの文様が描かれる。昭和26年(1951年)に国宝へ指定された1棟。
京都市東山区の豊国神社にある桃山時代の四脚門で、前後が唐破風、側面が入母屋造、檜皮葺である。伏見城の遺構と伝え、二条城と金地院を経て明治に現在地へ移された。昭和28年(1953年)に国宝へ指定された。
京都市下京区の本願寺にある三重こけら葺の楼閣で、南面と北面が25.8メートル、東面が11.8メートル、西面が12.5メートル。東西で長さが違っている。昭和26年(1951年)に国宝へ指定された1棟である。
京都府宇治市にある黄檗宗の大本山で、伽藍の配置と様式が中国の明末清初の影響を受けている。大雄宝殿ほか17棟に、さらに3棟を加えている。大正2年に重要文化財、令和6年(2024年)に国宝の指定を受けた。
京都市東山区の祇園にある社殿で、桁行7間、梁間6間、入母屋造、背面3間突出、檜皮葺である。内々陣から礼堂まで四つの区画が一つの大屋根に収まっている。令和2年(2020年)に国宝へ指定された1棟である。
京都市右京区嵯峨の清凉寺が所有する16幅の仏画で、文化庁は国の欄を宋、時代を北宋としている。日本で作られたものではない。重要文化財を経ることなく、昭和30年(1955年)に国宝へ指定されたものである。
京都府舞鶴市の松尾寺が所有する平安時代の仏画1幅である。文化庁の解説は「平安時代の作品。」の一文のみで、寸法も画面の構成も記されていない。重要文化財を経ず、昭和27年(1952年)に国宝へ指定された。
京都市東山区の東福寺が所有する南宋時代の絵画1幅で、南宋の高僧である無準師範の全身を描いている。同名のもう一幅と同じ木箱に納められて伝来したものである。昭和27年(1952年)に国宝へ指定されている。
京都市右京区の高山寺が所有する鎌倉時代の仏画1幅である。文化庁の解説は「鎌倉時代の作品。」の一文のみで、寸法も画面の構成も記されていない。重要文化財を経ず、昭和26年(1951年)に国宝へ指定された。
京都市左京区の曼殊院が所有する平安時代の仏画1幅である。同名の作品が山梨県指定と津市指定にもあり、そちらの記録には寸法や装丁まで記される。重要文化財を経ず、昭和29年(1954年)に国宝へ指定された。
京都市伏見区の醍醐寺にある平安時代の壁画18面で、天暦5年(951年)に五重塔の竣工と同時に成ったもの。心柱覆板や四天柱、連子窓、腰羽目板にも描かれている。昭和51年(1976年)に国宝へ指定された。
京都府にある飛鳥時代の写経1巻で、所有は国(文化庁)である。ト書に写された奥書から、丙戌の年が686年であると特定されている。昭和26年(1951年)に、重要文化財を経ずに国宝へ指定された1巻である。
京都市左京区の京都大学が所有する写本9冊で、作品の書名はこの一本によってのみ確定できるとされる。書写奥書はなく、鎌倉時代中期の写しと認められている。平成8年(1996年)に国宝へ指定された9冊である。
平等院が所有する平安時代の金工品1対で、もとは鳳凰堂の大棟の南北両端に据えられていたものである。修理保存のために取りはずされて工芸品の区分へ移り、昭和48年(1973年)に改めて国宝へと指定された1対。
京都府の仁和寺が所有する平安時代の冊子30帖で、名称の三十帖と員数欄の30帖が一致している。専用の冊子箱も、同じ日に別の物件として国宝となっている。昭和26年(1951年)の指定にあたる30帖である。
京都府の相国寺が所有する南宋時代の茶碗1口で、高さ6.7センチメートル、口径11.8センチメートル。内面は釉薬をかけない部分が文様になり、外側は逆にふりかけて斑文様とする。昭和28年に国宝へ指定された。
京都府の高山寺が所有する唐時代の典籍3巻で、国の欄は日本ではなく中国と記録されている。文化財保護の制度は、物の作られた場所を問わないからである。昭和27年(1952年)に国宝へ指定された3巻の典籍である。
京都府京都市の竜光院が所有する茶碗で、明治41年(1908年)に重要文化財、昭和26年(1951年)に国宝となった。両者のあいだには43年の開きがある。同じ名の物件が、重要美術品としても記録されている。
京都市右京区の高山寺が所有する平安から鎌倉時代の絵巻4巻である。別の物件である断簡の記録によれば、4巻のうち甲巻はもと二巻であり、脱落と錯簡があるという。昭和27年(1952年)に国宝へ指定されている。
京都府宇治市の平等院にある平安時代の壁扉画14面で、天喜元年(1053年)の鳳凰堂完成と同じ年の作である。堂は建造物としても指定されており、文化庁はこれを二重指定と記す。昭和47年に国宝へ指定された。