鎌倉
Kamakura鎌倉時代(1185 – 1333)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
御上神社拝殿は滋賀県野洲市三上の御上神社にある鎌倉時代後期の拝殿で、明治32年(1899年)に指定された重要文化財。入母屋造・檜皮葺で、隅柱だけに舟肘木をのせるなど本殿とよく似た様式をもち、旧本殿の部材を使ったとも伝わる。
御上神社本殿は滋賀県野洲市三上の御上神社にある鎌倉時代後期の本殿で、昭和27年(1952年)に国宝に指定された。入母屋造の屋根、漆喰壁、連子窓、隅柱だけの舟肘木など仏堂の要素を取り込み、建武4年(1337年)銘の縁束石が残る。
御上神社楼門は滋賀県野洲市三上の御上神社にある三間一戸の楼門で、上層の墨書から康安5年(1365年)頃の建立とされる重要文化財。和様に禅宗様の木鼻を交え、上層の三手先に尾垂木を用いない珍しい組物をもつ。
七条刺納袈裟は、滋賀県大津市の延暦寺が所有する唐代の七条袈裟で、昭和41年に国宝に指定された。伝教大師が唐から請来したと伝えられ、麻地に色糸を刺繍した刺し子の袈裟で、麻製の遺品として極めてまれである。
6世紀の梁で顧野王が編んだ漢字字典『玉篇』は中国で散逸し、本来の姿は唐代の写本によって日本にのみ残った。石山寺の本巻は全30巻のうち巻第廿七の後半にあたり、糸部などを収める。前半は京都の高山寺が所蔵する国宝である。
滋賀県長浜市の神照寺に伝来する国宝。銅の円板を皿形に打ち、宝相華唐草文を透かし彫りにして鍍金と鍍銀を施した、法会で散華を盛る器である。径約二十八・五センチの十六枚が現存し、うち二枚は京都国立博物館に収まる。
智証大師円珍が853年から五年に及んだ唐での求法を記した行歴抄。原本は散逸し、本文は主にこの抄録によって知られる。石山寺経蔵に伝わる鎌倉時代の写本で、明治36年に重要文化財に指定された貴重な一巻である。
石山寺が所蔵する紙本墨書建久年中検田帳は、建久年間(1190〜1199)に作られた土地の帳簿で、明治38年に重要文化財に指定された。耕地の面積や年貢を記す二巻の古文書が、武家政権成立期の荘園経済の実態を今日に残す。
滋賀県湖南市の常楽寺に伝わる勧進状3巻。延文5年(1360)の落雷で全焼した堂塔を再建するため僧・観慶らが寄進を募った中世の文書で、国宝の本堂と三重塔が生まれた経緯を今に伝える重要文化財です。
滋賀県大津市の石山寺が所蔵する国宝・釈摩訶衍論は、唐時代に書写された五帖の折本である。竜樹の撰述を称するが実際は七〜八世紀に唐または新羅で成立した『大乗起信論』の注釈書で、現存する唐写本として希少な一品。
琵琶湖北岸の菅浦に伝わる中世村落の記録。鎌倉から江戸期の文書千二百八十一通を六十五冊にまとめ、隣村大浦庄との田地相論や村掟を記す。村人が守った史料として二〇一八年に国宝指定。須賀神社や四足門とともに巡りたい。
延暦寺が所蔵する国宝。唐の役所が留学僧・最澄に発給した八〇四年の明州牒と八〇五年の台州牒を一巻にまとめた通行許可書である。最澄が自ら記した申請部分はその真筆と認められ、九世紀初頭の唐代官文書としても、日本天台宗の原点を示す資料としても貴重。
滋賀県大津市の園城寺が所蔵する国宝。金剛界曼荼羅の諸尊を白描で描いた密教図像で、円珍が大中九年(八五五)に唐の長安で授かり請来した完本。全長は約十八メートルに及び、二〇二三年にはユネスコ「世界の記憶」にも登録された。
太刀〈銘国宗〉は、鹿児島市の照国神社が所有する鎌倉時代の備前の刀工国宗の太刀で、昭和39年に国宝に指定された。島津家に伝来し、戦後アメリカに渡ったのち返還され、黎明館で年2回特別展示されている。
新潟県佐渡市の妙宣寺に伝わる日蓮自筆の書状三巻。佐渡配流を赦免された日蓮が、身延から島の信徒へあてて記したもので、建治元年から弘安三年にわたる。法華経への信心を説き、配流中の支援への謝意を綴った重要文化財である。
新潟県小千谷市の妙高寺に伝わる重要文化財。檜の寄木造で像高約119センチ、獅子冠を頂き三眼を見開いて六臂に法具を執る鎌倉時代の愛染明王坐像。御開帳は毎月26日に限られ、縁結びや染織にたずさわる人々の信仰も厚い。
新潟県魚沼市の円福寺に伝わる重要文化財。建保二年(一二一四年)銘をもつ阿弥陀如来坐像と、二〇一九年に追加指定された多聞天立像。像内銘「弥陀三尊二天合五躰」から、両像はもと五躯一具をなした遺品と判明した。
新潟県三条市・乗蓮寺(時宗)の本尊、木造阿弥陀如来立像。深く複雑な衣に宋風をうつす鎌倉末期の作で、市内唯一の国指定重要文化財です。度重なる火災を信徒が守り継いだ尊像と、徳治2年(1307年)開創の寺の歴史、燕三条のまち歩きを案内します。
新潟県上越市・善導寺の重要文化財。中国浄土教の祖、善導が極楽を仰ぎ口を開いて念仏する姿を、檜の寄木造と玉眼で写実的に刻む。口中の小孔は化仏を表したと考えられ、運慶派の作とされる鎌倉肖像彫刻の優品である。
安養院宝篋印塔は、徳治3年(1308年)の刻銘をもち、造立年のわかる宝篋印塔として鎌倉で現存最古とされる国の重要文化財。願主観杲と石工心阿の名が基礎に残り、隣には北条政子の墓と伝わる小塔が並んで立つ。