鎌倉
Kamakura鎌倉時代(1185 – 1333)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
京都府の高山寺が所有する唐時代の典籍3巻で、国の欄は日本ではなく中国と記録されている。文化財保護の制度は、物の作られた場所を問わないからである。昭和27年(1952年)に国宝へ指定された3巻の典籍である。
京都府京都市の竜光院が所有する茶碗で、明治41年(1908年)に重要文化財、昭和26年(1951年)に国宝となった。両者のあいだには43年の開きがある。同じ名の物件が、重要美術品としても記録されている。
京都市右京区の高山寺が所有する平安から鎌倉時代の絵巻4巻である。別の物件である断簡の記録によれば、4巻のうち甲巻はもと二巻であり、脱落と錯簡があるという。昭和27年(1952年)に国宝へ指定されている。
東京都台東区の東京国立博物館にある鎌倉時代の刀1口で、茎を大摺上げしたために原銘が失われ、鑑定した人が正宗の名を金で象嵌している。昭和32年(1957年)に国宝へと指定された、1口の工芸品にあたる。
東京都千代田区にある藤原定家自筆の写本1帖で、錯簡が写本・版本のすべてに踏襲されていたことから、唯一の祖本であることが判明した。波に月蒔絵冊子箱が附指定である。令和5年(2023年)に国宝へ指定された。
東京都千代田区にある唐代の書1幅で、王羲之の書簡を双鉤塡墨の技法で写した模本である。真筆は現存しておらず、同種の模本は日本・中国・米国に計九点しかない。令和5年(2023年)に国宝へ指定された1幅である。
東京国立博物館にある鎌倉時代の太刀1口で、生ぶ茎に「久国」の二字銘が残っている。寸法は尺貫法で記録されており、中務正宗のメートル法とは単位系が違っている。昭和26年(1951年)に国宝へと指定された。
広島県尾道市東久保町にある鎌倉時代後期の多宝塔1基である。年代欄は1319年だが、解説のほうは1325年に焼失し1329年に再建されたとする。昭和28年(1953年)に国宝へと指定された1基の塔である。
広島県尾道市東久保町にある鎌倉時代後期の本堂1棟である。同じ寺の多宝塔と同じ火災で焼け、16年ほどおくれて再建されている。大正2年に重要文化財、昭和28年(1953年)に国宝へと指定された1棟である。
広島県福山市草戸町にある鎌倉時代後期の本堂1棟である。同じ寺の五重塔とは、重要文化財と国宝とで指定の順序が逆になっている。明治33年に重要文化財、昭和39年(1964年)に国宝へと指定された1棟である。
広島県廿日市市の厳島神社が所有する鎌倉時代の法具1具である。独鈷・三鈷・五鈷の三つの杵が0.9センチメートルの差のなかに収まっている。明治32年に重要文化財、昭和30年(1955年)に国宝へ指定された。
香川県善通寺市の善通寺が所有する唐時代の錫杖頭1柄である。中国から伝来し、日本の金工技術にも影響を及ぼしたと記される。明治34年に重要文化財、昭和56年(1981年)に国宝へと指定された1柄の品である。
山口県下関市長府川端町にある鎌倉時代後期の仏殿1棟である。柱の墨書は1320年、寺の開創は1327年で、建物のほうが古い。明治36年に重要文化財、昭和28年(1953年)に国宝へと指定された1棟である。
山口県防府市の毛利博物館にある鎌倉時代の腰刀1口である。名の由来である柄の菊花のうち、目貫の菊花のみが後補とされている。昭和8年に重要文化財、昭和27年(1952年)に国宝へと指定された1口の腰刀である。
山梨県甲州市勝沼町にある鎌倉時代の本堂1棟である。甲斐と信濃の二国から家ごとに十文を集めて、建設の費用に充てている。明治40年に重要文化財、昭和30年(1955年)に国宝へと指定された1棟の本堂である。
山梨県の久遠寺が所有する南宋時代の絵画1幅で、金地院の秋景冬景2幅とともに一組だったと記される。三幅は所蔵先が分かれており、同じ日に別々の物件として指定された。昭和30年(1955年)に国宝へ指定された。
滋賀県大津市の聖衆来迎寺が所有する鎌倉時代の絵画で、複数の幅からなる。文政年間の模本は滋賀県の指定を受けており、原本と写しがそれぞれ別の制度で守られている。昭和38年(1963年)に国宝へ指定された。
滋賀県大津市の延暦寺が所有する唐時代の典籍1巻である。国の欄は中国、時代の欄は唐とされ、年代の欄は803年である。重要文化財を経ることなく、昭和28年(1953年)に国宝へと指定された1巻の書跡である。
神奈川県藤沢市の清浄光寺が所有する鎌倉時代の絵巻で、明治33年に重要文化財、昭和27年に国宝となった。全十二巻のうち巻第七だけは東京国立博物館にあり、同じ日に別の物件として指定を受けている一巻である。
神奈川県横浜市金沢区の称名寺が所有する鎌倉時代の肖像画で、金沢北条氏の四代を描く四将像の四代目にあたる一幅である。明治33年に重要文化財、昭和41年に国宝となっており、そのあいだに66年が経っている。